COLUMN

2020.04.01

「世界中の様々な場所と、出会った人、その思い出」 by 猫島虎雄 第1回/ベルリンのワニ

今から10年以上前にもなるが、当時私はヨーロッパをフラフラしていた。オーストリアのウィーンを拠点に、ドイツ、イギリス、チェコ、スウェーデン等を旅していた。
そこで当時、ベルリンに住んでいた日本人画家ワニの家に、10日余り居候させてもらった。

ワニと初めに出会ったのは東京のライブハウスで、それももう随分昔のことでいつだったかは思い出せないけれど、彼はライブハウスにいるにも関わらずイヤホンを装着しながら絵を描いていて、現場のことなんか全く無関係な姿が印象的だった。「美大行ってんの、ふーん、俺さ、これから絵描くことにしたんだ。」と言っていた。それで連絡先を交換したんだと思う。それから彼はドイツのベルリンに住み、私はオーストリアのウィーンに住み、そんでそもそもが友達の友達みたいな関係で、身近な存在ではあったから、そんなに警戒心もなく、彼がベルリンに住むアパートに泊まらせてもらうつもりでベルリンに向かった。
(若かったなあ、今ではそんなこと絶対にしないよ)

驚くべきことにワニは、ベルリンのストリートで絵を描いて、日銭を稼いで暮らしていた。
空港券だけ買ってベルリンに来て、その後日がな一日大通りに座り、作品を並べ、似顔絵を描いたり絵を売ったりして、1日の生活費を稼いでホステルに帰る。そんな暮らしを続けているうち、「俺明日から刑務所行かなきゃいけないから、うち泊まっていいよ」と言う、部屋を貸してくれる人に巡り会えたらしい。
危なっかしいな。
とにかく私が泊まらせてもらったのはその、オーナーが刑務所に行ったから空いたアパートで、なぜか壁紙がビリビリに破かれ、血しぶきのようなものがあり、広くて荒れ果てていた。多分一度も掃除したことないんだろうなあって汚さで、さらにワニのしつこい、圧迫感のある絵やら油絵の具や揮発したテレピンの匂いが充満していた。でもキッチンは光がたっぷり入る。
私は昼間一人でベルリンの観光をして、夜ワニの家に帰った。正直ベルリンの街のことは覚えていない。それより、ワニの家ですごした夜のことが何倍も記憶に残ってる。

ワニはずっと絵を描いていた。
アリにチンコを噛まれそうだが噛まれなかった話をしながら絵を描いた。
昼は通りで日銭を稼ぐために絵を描いて、夜は自分のための大きな油絵を描いた。
コンドームの幽霊について話しながら描いた。刑務所にいる部屋のオーナーの彼女から迫られていてピンチであるという話をしながら絵を描いた。
がりがりにやせ細り、「一人だと食事も風呂も嫌いなんだ」と言うから、夜は一緒に食事らしきことをした。(食事ではなかったかもしれない)
一緒にお風呂に入ってやった。
ワニはいつも手を動かしている。いつも何かしながら手を動かしている。
風呂に浸かっているときも、アコースティックギターを弾いてむちゃくちゃな即興の歌を歌っていた。いい声だねえ、ギター壊れちゃうよと言ったら、「うるせえ関係ねえよ、俺の歌を聴くなら金を払え」と言っていた。いっしょに風呂に入ってあげたのに。

1ユーロのピザをなぜか炭になるまで何回も何回も焼いていた。さくらももこの本を冷凍庫に保管していた。

わたしが夜寝ている間もワニは絵を描いていたから、一緒に寝ることはなかったし、こんなにわたしが家にゴロゴロしていてもセックスすることは無かった。
歩調は一度も合わせてくれず、後ろ姿をよく覚えている。背中にちいさな天使の羽がプリントされたパーカーを着ていて、それが小柄な彼によく似合っていた。
あのとき、セックスしなかった事をワニは「おれインポだったからなあ」と誇らしげに語るが、べつにそういう理由じゃ無かったと思う。別に。お互いの視線が噛み合わなかっただけだ。

時間が過ぎて、オーストリアの家に帰ることになった時は「別れの時はハグだからな」と言ってハグしてくれた。時々ほんとに恋人みたいな顔をする。誰にでも。
絵の具でどろどろになった服を着て、誰にでも恋人みたいな顔をして、その場の空気を自分のものに支配しちゃう、変な人だ。

日々は流れワニは日本に帰り、ワニは美術の教育を一切受けていないにも関わらず、最近、大きな美術賞を取った。
作品タイトル「ラブレター」
おめでとうワニ。これはわたしからのラブレター。

猫島虎雄

PROFILE

猫島虎雄

アジアに恋しているジプシー、愛犬家。女

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