COLUMN
2021.03.16
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2021.03.16
このコラムは、FREEZINE編集部にして、株式投資の超ド級初心者であるわたくし清水里華が、いっさいの知識も資産も持たず丸腰で株式投資に体当たりし、トライ&エラーを重ねていく姿をドキュメントでつづり、大いに笑ってもらおうという趣旨の、リアル現在進行形のコラムです。
注:同時に自分の勉強メモでもありますので、読後感はいっさい保証いたしません。また、投資はあくまでも自己責任でお願いいたします。
「このままじゃマズい。方向転換をせねば。」
そう思い立ったのは確か、2010年の秋ごろのこと。
ひょんなきっかけから新卒でコピーライター職に就いて以来、わたくしは広告の「こ」の字も知らないままに無我夢中で10数年にわたり広告業界の片隅を駆け抜けてきました。駆け出しの頃は、某D通のクリエイティブ・ディレクターから依頼されたコピーが書けないプレッシャーから、深夜のオフィスのフロアに胃液をブチ撒けたり、これまた某D通から依頼されたSトリーウイスキーのエッセイを書き上げるべく、こっそりデスクの袖机に隠しておいたウイスキーをあおりながら夜な夜なPCに向かったり、など泥臭くがむしゃらな日々を積み重ね、気付いた頃には管理職へ出世し、「清水チーム」での年間売上額が2億を突破するようになっていました。そして、ここではたと立ち止まったのであります。
「この先、何を目標に、どの方向に走ればいいんだろう。」
折しも、マスコミュニケーションの斜陽化が叫ばれ、旧来型のマスコミ業界・広告業界の在り方に綻びが生じはじめた頃でした。売上が右肩上がりに伸びていく保証もないし、現在のスキルだけではきっとこれからの時代を戦えない。わたくしもコピーライターとしての存在意義を自問自答する日々の中で、「今後進むべき道はこっちじゃなかろうか」と示唆される出会いがあったのです。
それは「企業ブランディング」という仕事でした。
平たく言うと、企業の存在意義やビジョン、使命を明文化するお手伝いをし、あらゆるステークホルダーからの共感を獲得することによって企業の成長ドライバーとして活用していただくこと。みなさんが日頃からよく目にされている企業ロゴも、「コーポレート・アイデンティティ=CI」と呼ばれ、企業ブランディングの一環として捉えられています。リソースが限定的な中小企業の多くは、なかなか企業ブランディングまで手が回らないのですが、とある製品分野で世界トップシェアを誇る中小企業の社長さんの息子さんがたまたまわたくしと同じ広告会社に勤めていたことから、ご提案のチャンスをいただけたという次第でございます。
一緒に組んだアートディレクターが非常に優秀だったこともあり、わたくし共の提案を得意先はたいへん喜んでくれまして、いまだに当時提案したCIやタグライン、WEBサイトを活用いただいているほどに、ビタッとハマったのであります。この体験が実に感動的でした。得意先から直接、課題や志をヒアリングし、ビジネスの純然たる成長要素をクリエイティブで昇華するダイナミズムには、旧来の広告業界に横行する欺瞞やら、忖度やら、外連味やら、不毛なサービス提案やらの入り込む余地など一切ないではないですか。これです、この道にぜひ進みたい。いや、進むべきだ。
そんな体験を経て、いつしかわたくしには「経営コンサルタント」になるという夢が芽生えました。でもどうやって?MBAを取るという選択肢もありましたが、授業料がべらぼうに高く、フルタイムで働きながら数年も夜学に通うのは現実的ではありません。そんな時、日本のMBAと呼ばれる「中小企業診断士」という国家資格の存在を知りました。1次・2次のストレート合格率はわずか4%というそれなりの難関資格だったのですが、何より通信教育で取れる資格であることが魅力的でした。それに、経営コンサルの資格をもったコピーライターなんてあまりいなかったので、ぜひ第一人者になりたい、いや、なってやると決意を固め、早速、教本を買い求めて猛勉強を始めました。
それからの5年というもの、仕事以外の時間はほぼ診断士の勉強に費やしたと言っても過言ではありません。しかし、文学部文学科卒というゴリゴリ文系の私には、診断士に必須となる理系科目の思考回路がそもそも備わっておらず、主に財務会計の科目で大変苦労しました。中小企業診断士という試験は、1次試験の7科目に合格すると、2次試験に挑戦する権利が得られるわけですが、これに2回失敗すると、1次試験から再度受験、と振り出しに戻る無情なシステムを採用しているがために、“多年度受験の沼“にハマる受験者も非常に多い残酷な試験として有名でした。そして私もご多分に洩れず、2次試験に2回失敗。気を取り直して再び1次試験を受験して一発合格するも、その後の2次試験に再び2回連続で失敗したのであります。
冷静に振り返ると、この時点でわたくしすでに、あの“多年度受験の沼“に片足を突っ込んでいたのでしょう。
「ひょっとしたら自分、この資格に向いてないな」と自身の中で折り合いをつけるまでにかなりの時間を要し、気づいたら足掛け5年。その後は、ゴールを見失い自分の進むべき道も見出せないまま、ただ、目の前にある広告の仕事を疑問視しながらも、淡々と、ある意味、盲目的に取り組むしかできない日々でした。企業のビジョンを作ると豪語しておきながら、自分のビジョンすら見いだせない。もがき続ける中で、趣味で続けていた投資信託のWEBサイトをぼんやり見ていたときに、ふと、こんな思いつきが降りてきたのです。
「そうか、今までは“広告“という形で企業のビジネスのお手伝いをしてきたわけだが、志ある企業に対しては“投資“という形でビジネスを応援することもできるのか」
それこそが、この「ズッコケ投資家日記」の0ページ目を飾った、自分的には記念すべき出来事なのであります。待て次号。
都内の広告会社に勤めるクリエイティブディレクター兼コピーライター。
ときには、戦慄のオルタナティヴロックバンド「Very Ape」でドラムを叩き、ときには、WEBメディア「FREEZINE」で企画+取材+構成+イラストを担当。