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2018.04.14

安藤一宏 インタビュー | 気楽に、なんて行くわけがない。だからあえて「気楽に行こう」を掲げるんです。

取材・構成:清水 里華

バンドマンとして活動しながら、
ライヴハウスを立ち上げた理由。

編集部(以下、編):バンドマンとして月に平均5〜6本ライヴをしながら、ライヴハウスと音楽スタジオを経営する現状に至った経緯を教えていただけますか?

安藤一宏(以下、安藤):元々は大好きな映画や映像の制作に携わりたいという思いから、地元・愛知のテレビ局の制作会社に就職しました。でも1年強働いてみて、自分で判断しているという感覚が得られなかったことや、学生時代からやっていたバンド活動を趣味で終わらせたくないという気持ちが大きくなり、大学時代に縁のあった埼玉・越谷へ拠点を移したのが始まりです。生計を立てるために倉庫や音楽スタジオで働きながら音楽活動をしていたのですが、26歳の時にその音楽スタジオのオーナーから買い取りを打診されたのをきっかけに、スタジオ運営をスタートしたんです。その内に、そのスタジオに集うバンドマンたちにもっと活躍の場を作ってあげたいという思いから、「グレゴリコネクション」「シャカリキスーパーライブ」などの音楽イベントを立ち上げました。そしていずれは地元・越谷にそれまでなかった本格的なライヴハウスを作りたいと思い始めて構想約5年。度重なる交渉の末に地元の信用金庫から巨額の融資を受け、32歳の時に越谷初となるライヴハウス「EASYGOINGS」を開業したんです。

ピンとくる直感とイメージを大切に。
あとはテンションと勢い。

編:もともと独立心が旺盛だったのですか?

安藤:そうですね、一人っ子で教育熱心な両親の元に育ったのですが、学校では学級委員や部長などを任されることが多かったですね。あとは反骨精神。いまもみんながもっと楽しめるように、くだらない伝統なんてぶっ壊しちゃおう、という感じでやってます。嫌いなことはやりたくないし、楽しいことをして生きたい。だから会社員はきっと無理だし、いずれは独立するんだろうなと思っていました。

編:これまでたくさんの大胆な選択をされてきた安藤さんですが、選択するときに大切にしていることは何ですか?

安藤:ピンと来るか来ないか。それとイメージですね。大学受験のとき、それまで越谷に足を踏み入れたことは一切なかったんですが、地元・春日井のように大らかで自然豊かな環境にピンと来たんですよね。音楽スタジオを買い取る決断を下すときは、バンドのみんなとワイワイ遊んでる自分の姿がまざまざとイメージできました。ライヴハウス設立の際もそうですね。ライヴハウスの前に商店街があるんですが、そこでみんなでお祭りをやっているイメージがパーっと湧いたんです。あとはテンションと勢いも大事だと思います(笑)

キツイことだらけだからこそ、
発奮して頑張れる。

編:いまや埼玉県でも有数のキャパシティと設備を誇り、プロのミュージシャンにも愛される「EASYGOINGS」ですが、その経営は一筋縄では行かなかったのでは?

安藤:そうですね。やるからにはちゃんとプロのバンドやツアーバンドが呼べるきちんとしたライヴハウスを作ろうと決めていたので広さにもこだわりましたし、中に家が2軒は建つくらいの設備投資をしました。でも、ライヴハウス経営って本当に大変なんですよ(笑)正直なところ、破産したほうがよっぽど楽になると思ったことも何度もあります。これは本当に洒落にならない、今度こそ店を畳もうとこっそり心に決めて、ライヴハウスに出勤するじゃないですか。でも不思議なんですが、そんな日に限って、出演バンドのライヴパフォーマンスを見て発奮させられるんです。「こんないいライヴ見せられたら、この場所を守らないでどうするんだ。自分がやらなきゃダメなんだ!」って。だから多少キツイくらいの方がいいのかもしれません。テンション張って頑張って行ける気がするんです。店名の「EASYGOINGS」には、「気楽に行こうぜ」という意味があるんですが、ライヴハウスの経営も人生も、そんなに気楽に行くわけがない。だからこそあえて掲げるんです。「気楽に行こうぜ」って。

人と人とのつながりを作り、
人とのつながりに生かされる。

編:これまで特に苦労されたことは何ですか?

安藤:特にきつかったのは、ようやく軌道に乗り始めた矢先の東日本大震災でした。ちょうどスタッフに給料を支払い終えた翌日で、手元にキャッシュなんて何にもありません。「これは本当に終わったな。みんな、ごめん!」と一瞬絶望しかけました。でも、この状況でライヴハウスとして何ができるんだろうと考えたとき、こんな状況だからこそやっぱり自分が何かやるしかないなと思ったんです。いち早く帰宅難民の避難場所として店を解放したり、チャリティライヴや募金活動を始めたところ、被災後わずか1週間で100万円を超えるカンパをいただき、東北地方へ寄付することができました。また、給料を払えない状況の中でもスタッフが働いてくれたり、出演バンドのみなさんからカンパをいただいたときには、ありがたさの余り本当に涙が出ました。

編:人とのつながりを大切にしてきたからこそ、人とのつながりに生かされてきたのですね。

安藤:ライヴハウスで出会った人が結婚したり、一度辞めた人が戻ってきたりしてくれたり、そんな人と人とのつながりを作る場所。逆に人と人のつながりだけでやってきたこの箱だからこそ、絶対に潰してはいけない。そんな思いを新たにしました。

先にこちらが腹を割ること。
嘘をつかないこと。

編:人とのつながりを大切にされている安藤さんですが、銀行や役所などとの交渉を上手に進めるコツや、人間関係を構築する秘訣は何ですか?

安藤:秘訣と言うほどのことではないですが、心がけていることはこちらから先んじて腹を割るということですね。嘘をつかないと言うか。相手も人ですから、こちらの思いを開示して何度もお逢いするうちに人間としてのお付き合いになっていくんですよね。もちろんプラスの決算書の提示など、実績を積み重ねて実務面での功績を認めていただくことも大切ですが。また、ライヴハウスでいろいろなバンドマンと精算をする際にいつも心がけているのは、愛をもって接すること。そして、できるだけ相手の長所を伸ばしてあげられるよう、相手がいまどんな状況にいるのかを的確に察すること。良くないライブを見せられた時、頭ごなしに否定はしたくない。「なんかメンバー同士で揉めているのかな」と慮ったり、そういう接し方を心がけていますね。あとは、プライベートで辛いことがあっても、店では笑顔でいること。僕が凹んでいるとスタッフにも伝播しますし、お店ってお客様の立場から見ても「あの元気な大将に逢いに行こう」という気持ちで行くものだと思いますから。

地元の人にバンドを見てほしい。
だったら祭りをやるしかない。

編:最近では越谷での地域活性化にも携わっているそうですが、どのような経緯だったのですか?

安藤:もともとはライヴハウスで頑張っているバンドマンたちに、もっと活躍の場を与えたかったんです。地元にはこんなにいいバンドがたくさんいるのに、ライヴハウスは「悪の巣窟」と見られがちで、地元の方との交流がなかなかなくて。だったら祭りを自分で仕掛けるしかないと思い、日本青年会議所や市役所、商工会に乗り込みました。そのうちに商工会や市役所の地域活性化担当の人との交流も増え、越谷市役所の脇に作られたウッドデッキの活用法を相談されたので、アコースティックライヴやフラダンスの発表会を始めたんです。これがとても盛り上がり、ダンスサークルなどの団体からの引き合いも増えて。そんな経緯で出会った若きパフォーマーたちを商店街のお祭りに招聘すると、動員がそれまでの4000人から8000人へ一気に増えて地元からの信用を得て。それからお祭りでのバンド演奏も実現できるようになったんです。今年3年目となる「koshigaya ASYLUM」という街フェスでは、地元や全国のアーティストが「EASYGOINGS」を中心としたいろんな場所でライヴ演奏やアート作品を披露してくれますので、ぜひ遊びに来ていただきたいです。

※「koshigaya ASYLUM 2018」は、2016年より越谷でスタートした音楽とアートにあふれるちいさな街フェス。2018年4月21日(土)・22日(日) 、埼玉県越谷市(東武スカイツリーライン「越谷」駅周辺)にて開催。詳しくは公式サイトにて。

https://www.koshigaya-asylum.com/

理想像は用務員のおじさん。
みんなを見守って笑っていたい。

編:将来の目標は何ですか?

安藤:まず何よりも、ライヴハウスやスタジオの運営をできるだけ続けて、関わるみんなの居場所を作り続けてあげることですね。僕は経営者として「儲ける」ことには長けていないので、いまでも借金はたくさんあるし、生活は全然楽になりません。でも、2人の娘もいて、月に6本程度バンドでライヴもできて、ちゃんと生活できているこの状況が、結構幸せだなと思えるんですよね。あとは地元の人の、地元の人による、みんなのためのロックフェス、「越谷ロックフェスティバル」を立ち上げたいです。ステージの設営から照明、音響、出店まで、全部地元の商店や職人のみなさんの力を借りて作り上げるイメージですね。そしてゆくゆくは用務員のおじさんみたいな人になりたいかな(笑)みんなが遊べる公園を作って、その隅っこでニコニコ笑って見ているような人でいたいんです。映画「ファンダンゴ」のケビン・コスナーのように、みんなをけしかけて遊ばせて、その様子を離れた丘の上から見て「イエーイ」ってコーラで乾杯して悦に入る感じ。僕、カッコつけなのかもしれませんね。

1日のタイムテーブル

  • 11:00起床
  • 12:00打ち合わせ・銀行回りなど
  • 15:00ライヴハウス出勤
  • 22:30ライヴハウス終演・精算・後処理
  • 1:00〜2:00終業・帰宅
  • 3:00食事・映画鑑賞・読書
  • 5:00〜6:00就寝

仕事の必需品は煙草・携帯・時計 ライターは出演バンドの忘れ物

ドラム、ベース、ギター、ピアノなどを自在に演奏 教則本通りの演奏は大嫌いとのこと

「愛のある説教」のために綴ったライヴの感想 事務所にすべてストックされている

愛娘2人に望むことは 人生を通じて楽しく打ち込めるものに出会えること

PROFILE

安藤 一宏
(アンドウ カズヒロ)

バンドマン/ライヴハウス経営

大学卒業後、愛知・中京テレビのグループ会社に制作職として就職。仕事と並行して音楽活動に従事し、「ジャックバドラ」などのバンドで活動。音楽活動に本腰を入れるべく母校のあった埼玉・越谷へ移住。スタジオ営業や自身の音楽活動と並行して伝説のライヴイベント「シャカリキスーパーライブ」のオーガナイザーとして活躍。2004年にライヴハウス「EASYGOINGS」を越谷に出店。現在はライヴハウス・音楽スタジオ・レコーディングスタジオを経営しながら、「Majestic Circus」「mabrock」「今西太一とミスターマックス」「carbretors」ではドラマーとして、「Rainbow Sliders」ではベーシストとして活動中。さらに越谷中央商店会や越ヶ谷TMOにも所属し、音楽を軸とした商店街&地域活性にも積極的に取り組んでいる。

越谷EASYGOINGS(ライヴハウス)

SOUND STUDIO GREGORI(音楽スタジオ)

FARMHOUSE RECORDINGS(レコーディングスタジオ)