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2018.11.13

丸山太郎 インタビュー | 自分の中にあるものより、与えられるものからのひらめきを信じる。

取材・構成:清水 里華 撮影:ゆうばひかり

「怖いもの」の存在を身近に感じながら、
映画から影響を受けた。

編集部(以下、編):フリーの映像クリエイターとして数多くのミュージックビデオ制作を手掛け、カルト的な人気もある丸山さんですが、そもそもどのような幼少期を過ごされたのですか?

丸山太郎(以下、丸山)子供の頃。両親が離婚し、母、祖母、叔母と暮していました。木造の一軒家で手入れをしていなかったこともあり、外観はお化け屋敷のようでした。家の中になにかがいるような気がして怖かったです。母も霊的な存在を信じる人でした。当時はオカルトや超能力ブームということもあり、超能力の練習なんかも母としてました。そんな環境で育ったので、怖いものはなんだか懐かしいものに思えるんです。電車でトンネルを走る時は、ただの暗い空間じゃつまらないからお化け屋敷にすればいいのに、なんて子供心に思ったりしていました。そうしたこともあってホラー映画を克服して好きになり、80年代のアメリカのホラー、スプラッター映画は、チープなのに新しい感じがしてわくわくしたのを覚えています。中学の頃から、封切りの終わった映画を低料金2本立で上映している映画館によく行くようになって。池袋の文芸坐で大林宣彦監督のメジャーデビュー作である「HOUSE ハウス」という作品に出会いました。家が女子高生を食べるというファンタジーホラーです。合成を多用した鮮やかすぎる色彩感覚は、とても斬新でした。メジャー配給の映画なのに凝り固まっていなくて、食べられる女子高生も楽しそうだったのが、とても斬新で影響を受けていると思います。

自分ではどうにもできない環境に
身を置いてみたいという衝動に駆られて。

編:大学の映像学科に通われたとのことですが、最初から映像関係のお仕事をされていたのですか?

丸山:大学は映像学科に行かせてもらったのに、その時は自分には映画やTVの業界は、無理ではないか?と思いました。その時のその判断は間違いではなかったと今も思います。卒業後就いた職業は、コンピュータープログラマーでした。なんだか冷たい感じに惹かれたんです。その会社には9年在籍しました。良い会社で待遇に不満はなかったのですが、34歳くらいの頃、当時は結婚して埼玉に住んでいたのですが、電車に乗りながらふと50歳くらいになった時の自分を想像してみたんです。このまま会社をやめなかったら管理職になるんだろうなと。でもそうなった時に、自分の場合は心がダメになってしまうと直感したのです。当時のTV番組「電波少年」で、無名の若手芸人が目隠しをされて拉致される企画がよくあって、なぜか羨ましかったのを覚えています。自分の力では如何ともしようのない状況で、必死になっている若手芸人がイキイキと生きてるように感じたのです。それで自分も不安定でもよいから、やりたいことをしたいと渇望するようになりまして、やりたいことは、やはり映像でしたが、クリエイターなら、なんでもよいと思いました。それでCGの専門学校に半年通いました。その後退路を断つべく会社を辞めたんですが、クリエイターとしての技術もほぼないですし、これからどうしたらいいんだろう?と途方にくれる日々でした。半年くらいして運良くデザイン会社でアルバイトをさせていただいて、そこは1年間いました。その後、フリーランスになりまして、webの仕事を中心にするようになりました。映像に関しては自主制作的にMVを撮り始めてはいました。この時期なんとかなったのは、ラッキーだったのもありますが、インターネットで仕事が検索できたのが、やはり大きかったと思います。

同じことの繰り返しより、
あえてフリーとして波のある人生を。

編:その後どういう経緯で映像クリエイターになられたのですか?

丸山:ある案件でベンチャー企業に常駐して作業していたのですが、その会社がインディーズレーベルの事業を立ち上げようとしていたんです。これはチャンスと思いまして、そのチームと親しくさせていただく内に、オムニバスライヴDVDの製作に関わるチャンスがあって、それが、いくつかのインディーズバンドのライヴ映像を収めた「コアコア」という作品です。撮影は自分は経験が少なかったので、主に編集を担当しました。セールス的には、インディーズとしては売れた方なんですが、やはり大ヒットとまではいかないので、会社にはなかなか認められませんでした。その後、出資会社を転々としつつも、日本の音楽シーンを紹介するDVDマガジン「U-ウラン-」や「GALACTiKA」の撮影・編集に関わりました。最初は撮影も編集も手探りで、とても辛かったですが、その中でライブハウスでの収録のノウハウを得ました。

編:その後、映像制作会社に所属して、またしてもフリーになられたわけですね?

丸山:そうです。その撮影チームが立ち上げた会社に3年ほど所属しました。忙しくて切磋琢磨する日々でした。ここでの3年間の経験が、自分の基盤になっているかもしれません。でも、やはり同じ場所で繰り返し制作をしていると、これ以上自分が伸びない気がしたんです。また当時借金があったのですが、毎月の決まったサラリーで返すことよりも、あえて収入に波のある方が返しやすい気がしたのです。結果、借金も返しましたし、やはり性格的には、フリーランスの方が向いていると思います。

自分のアイディアに頼るより、
曲を聴いてひらめくものを大切にしたい。

編:やりがいを感じるのはどんな時ですか?

丸山:ミュージックビデオに関しては、関わるアーティストの運命にもたずさわることなので集中して取り組んでいます。Youtubeの存在はやはり大きい。この世に作品が残り、人がいつでも見てくれることはすごいことです。初めて人の心に届いた気がしたミュージックビデオはTHE NOVEMBERS「Misstopia」です。これまでに一番再生回数が多かったのは八十八ヶ所巡礼「仏滅トリシュナー」。バンドの個性と自分の作風の相性がよかったのだと思います。記憶に残る一作は、HERE「死ぬくらい大好き愛してるバカみたい」です。街中の撮影に関しては、緊張感もあって好きですが、なるべく人に迷惑がかからないよう、安全に配慮するように気をつけてはいます。アイディアはストックしないようにしていて。頭で考えることはありますが、メモはしないようにしています。自分が考えるアイディアより、楽曲から与えられるインスピレーションに可能性を感じます。

編:フリーのメリット・デメリットとは?

丸山:メリットは時間を自分でコントロールできること。自宅が作業場でもあるので、家事と仕事を常に同時に行えるのがメリットですかね。雨が降ったらすぐに洗濯物を取り込めますし。雨のふりはじめには敏感になりました。デメリットは、安定しないことか、請求も自分がしなくてはいけないとか、山ほどありますが、デメリットとは考えなくなりました。そういったことを望んでフリーになったわけですし、デメリットと捉えても仕方ない。こうした拠り所のない生活はバンドマンとも通じるところがあると思います。でも、こういう話をしていて、2ヶ月先どうなっているか、わかりませんが笑。

次につながるよう、現在の作業が大事。
当たり前だが、データのバックアップは必須。

編:営業はどのようにされているのですか?

丸山:初期の頃には作品集を作ってレーベルに売り込みに行ったりもしたのですが、さして広がらなかったです。それよりも、リピート発注いただいたり、人に紹介されたりという形で、次の案件につながる方が多かったです。ですので、今やっている1本の仕事が、そのまま営業活動でもあると考えています。音楽映像の話ばかりしてきましたが、音楽系の仕事の他に、講演会やラーニングビデオの企業系の仕事もやっています。

編:仕事の断り方は?

丸山:基本仕事は断らず、先に話があったものから優先でお受けしているのですが、自分が関わっても良い結果が出ないと思った場合は、それを正直にお伝えしてお断りするようにしています。

編:業務の上で大切にしていることはありますか?

丸山:まずはデータをバックアップすることです。作業の進行中は2台のHDDにこまめにデータを保存するのが基本と思います。もしハードディスクが壊れてデータがなくなったとしたら、必ず自分の責任になります。またメールの返信はなるべく早くすることです。会社に所属していないから、どうしても信頼も薄い。最悪の場合は、自分とコンタクトがとれなくなる可能性もあると先方は感じるわけです。だから、なるべく不安にさせないようにレスポンスを早めにするよう心がけています。

税金は場所代。
長く納められるよう、仕事を続けたい。

編:今後の展望は?

丸山:年はとったものの技術的には発展途上ですし、まだ伸びしろはあると思います。音楽映像のような仕事は若く優れた才能がどんどん出てきますが、まあ今の日本は高齢化社会ですし、年をとっても現場の仕事を続けていくことが、この国の人口ピラミッド的に正しいのではないでしょうか?そして税金という「場所代」をなるべくなら長く納めることが、自分のできる社会貢献だと思います。成功したい時期もありましたが、今は仕事のステップアップよりも、現状の仕事をなるべく長く続けられたらよいなと思っています。そう考えると、日々新鮮なエッセンスに触れる必要があります。映画や音楽もそうですが、インターネット、私が思うにTwitterは詩やアート、思想、ギャグなど、世代の隔たりがなく垂れ流れていて、おもしろいと思っています。匿名でやってる人のつぶやきも、メチャクチャおもしろかったりする。年齢や性別や容姿は問わない。Vチューバーで美少女キャラの中の人が中年男性でもOK。そういった時代に突入していると思います。

編:長く働けるには健康管理も大切ですよね。

丸山:毎日何かしら運動をするようにしています。散歩だったり、ジョギングだったり、筋トレだったり。夜。闇に紛れて走っています。PCで作業をしていると、どうしても座りっぱなしになってしまいます。ソフトを起動する1分。2分の時間でも、立ち上がって洗濯物を取り込んだりして、落ち着きなく動くようにしています。電車でも立っているのは好きです。機材が重かったり、ロケハンで歩いたり、かったるいと思うことは実は身体によいことと思うようにしています。これはポジティブシンキングでなく、フリーランスは物事を辛いと思ってしまうと、全部辛くなってしまう。だから、勝手に自分の良いように解釈してるのです。

1日のタイムテーブル

  • 朝〜夜撮影がなければ、自宅で編集作業
  • 飲酒〜就寝(※最近は早寝早起きです。酒はビールが主です。)

八十八ヶ所巡礼 / 脳の王国

赤いくらげ / アイデア

mizuirono_inu / Room

DRUGONDRAGON / METEOR GIRL

PROFILE

丸山 太郎
(マルヤマ タロウ)

映像クリエイター(1965年〜)

大学卒業後、就職。コンピュータープログラマーとして9年働く。専門学校で半年間CGを学びつつ、会社を退社。デザイン会社でのアルバイト等を経てフリーランスに。 2006年~3年間、映像制作会社(有)アイウォズ・ア・バレリーナに所属。社員契約で、音楽番組、DVD、ミュージックビデオなど制作。現在はフリーランス。ミュージックビデオ、ライヴ収録など音楽系映像、講義収録など企業系映像を生業としている。

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