PEOPLE
2019.03.14
クリトリック・リス インタビュー | 野望も、後ろ盾ももたず、身の丈で勝負する50歳の挑戦。
取材・構成:清水 里華 撮影:ゆうばひかり
PEOPLE
2019.03.14
取材・構成:清水 里華 撮影:ゆうばひかり
編集部(以下、編):2019年で50歳を迎えるクリトリック・リスさんは、サラリーマンをしながら36歳で音楽活動を始めたとのことですが、どんなきっかけがあったのですか?
クリトリック・リス(以下、ク):そもそもは、大阪の広告会社で働き始めた20代半ばの話に遡ります。当時はまだ髪もあったので(笑)、営業なのにただモテたい一心で赤い髪してカラコン入れたりと、ファッションに一番お金を使ってました。通っていた古着屋でヴィヴィアン・ウエストウッドのジャケットを買おうとしたら、店長に「お前には似合わないから売らない」と拒否されて。同世代の店長だったんですけど、僕の中身のなさがバレてたんです。「ちゃんと音楽から入りや」と勧められたアルバムを聴いたら、悔しいほどオーラを感じて。それからクアトロなど大きめなライヴハウスにライヴを観に行くようになりました。その後、自分が実際に音楽を始めたのは30代です。管理職で多忙になり、終電で帰れない時に心斎橋のバーで朝まで時間を潰すようになって、そこの雇われバーテンだったオシリペンペンズの石井モタコと知り合い、初めて小さなライヴハウスへ足を運んだんです。そしたら音楽はジャンルレスで枠にとらわれないし、暴力やハプニングも当たり前で、もう殺し合わんばかりの勢いに圧倒されて。それが「関西ゼロ世代」というムーヴメントで、素人でも楽器を持って面白いことをやれば、大御所の山本精一さんと対バンできるようなシーンだったんですよね。それまでは割と受け身な音楽の聴き方だったんですが、自ら体験しに行く聴き方に変わって。仕事のフラストレーションもあったので、自分でも何かステージでやってみたいなと思うようになりました。
編:最初のライヴはどんな経緯で?
ク:そのバーで呑んでいたとき、たまたま常連客が元バンドマンばかりの日があって、流れでバンドを組んでステージに立つという話になったんです。僕は楽器もできないからダンサーとして。で、いざ初ライヴという日に、なんとメンバーが全員来なくて(笑)。やけくそになって酒飲んで服脱いで、リズムマシンのビートに乗せてコンパで仕込んだおもしろ話をかましたら、なぜか大受けして。次に誘われたライヴイベントでは、泥酔しすぎてステージに上がった瞬間にひっくり返り、流血しながらゲロを吐いて。その時、肘でうっかりサンプリングマシンのボタンを押したら、仕込んであったアニメ「一休さん」の「面白かった?じゃあね!」の声が爆音で流れて。このステージで「伝説」が生まれたわけです(笑)完全に「ノイズ」のジャンルに見られてましたけど。
編:それが36歳だったんですね。そんな偶然の産物で始まったような音楽活動を、なぜ続けようと思ったのですか?
ク:僕、それまで会社人間で、趣味もなくて型にハマった生活をしてたんです。でも、ステージで流血したときに「生きてるわ」という実感を覚えたんですよね。それに音楽の世界では年下の子もタメ口で話しかけてくれて、そんな環境が心地よくて。友達が欲しくて音楽を続けていたという感じですね。
編:それから二足のわらじ生活を続け、42歳で退職し音楽一本で食べて行く覚悟をされたとのことですが、そのきっかけは?
ク:その後はおかげさまで地方公演にも呼ばれるようになって、プロを目指して真剣にやっている人たちと共演する機会が増えたんです。そんな人たちと比べたら気持ちも練習量も違いすぎて、一緒にステージに立つことを後ろめたく思うようになってきたんです。ちょうどその頃、2010年9月に開催されたロックフェスで、お世話になっていた博多のバンド「ガロリンズ」の藤井よしえさんのライヴを観たんです。当時のよしえさんは末期ガンに冒されていて、全力で2曲だけやってそのままステージ袖に倒れこむという壮絶なものでした。それから2ヶ月後によしえさんは亡くなったんですが、その時思ったんです。「自分、このままじゃあかんな」って。よしえさんみたいにやりたくても続けられない人もいるのに、自分はただ逃げているだけなんじゃないかと。自分も逃げ道を作らず追い込んでいかなければいけない、そう覚悟を決めて、会社に退職願を出したんです。
編:管理職のポストを辞するのには相当な覚悟が要ったのではないですか?
ク:生活面で嫁を道連れにはできないと思ったので、まずは1年だけ真剣にやってみようと思い、2年分の生活費を貯めてから辞めました。万が一ダメになったら、その時は広告業界に戻ろうって決めてましたね。
編:元管理職だけあって、さすがきちんとされていますね。
ク:独立する前に住宅ローンもきっちり完済したんですよ僕(笑)
編:ミュージシャンとして独立されてから生活はどう変わりましたか?
ク:まず、平日でも地方を回れるようになった反面、収入は会社勤めの頃の半分以下になりました。でも、会社員だった頃はスーツを買ったり、スナックやキャバクラに付き合いで行ったりしていたんですが、付き合う人間が変わると生活レベルを変えなくても割とやっていけるなという発見がありましたね。その後は、お世話になっていた会社の方々も退職したりで後戻りできない状況となったので、そのまま音楽活動を続けてきたんです。
編:その後、47歳でメジャーデビューを果たされて、2枚のフルアルバムをリリース。そして、現在では事務所にも属さず完全インディーの道を模索するようになったとのことですが、その経緯を教えていただけますか?
ク:そうですね、こんなおっさんがメジャーデビューしたら、勇気付けられる若い子らがたくさんいるだろうなという思いがあったので、メジャーへのお誘いを受けたんです。ただ、実際にメジャーになってみると、縛りが多い反面でプロモーションやライヴブッキングのサポートが伴わないことへのジレンマや、アルバムの仕上がりへの違和感を覚えるようになって。映画主演の話もいただいたのですが、曲の権利だけが一人歩きしてしまい、せっかくの映画の中でも使える楽曲数を絞らざるを得ないとか…多分このインタビューではこれ以上書けないと思うので、いつか業界の暴露本を出したいと思ってます(笑)
編:なるほど。それで2018年からは完全インディーに立ち返ったのですね。
ク:はい、個人レーベルでどこまでできるか、という個人的な挑戦をはじめたわけです。もともと、広告業界にいたので、プロモーションのやり方は心得ていて。たとえば、ライヴハウスに貼るポスターも、自分の写真の目の所にLED電球を仕込んで光らせたり(笑)資本の力を借りずとも知恵や工夫でプロモーションができるということを、若い子たちに見せてあげたいと思ったんです。
編:3rdアルバム「ENDLESS SCUMMER」の制作では、クラウドファンディングも活用されていますね。
ク:おかげさまでクラウドファンディングでは目標額を超える寄付をいただき、無事にアルバムリリースできました。アルバムの制作でも、ミックスからマスタリング、ジャケット制作まで、人脈をフル稼働して直接お願いして制作しまして、おかげさまで最高傑作ができたと思っています。
編:さらに2019年4月には、50歳の生誕記念として野音でのワンマンライヴも決定されているそうで。
ク:実は、アルバムリリースよりも前に野音ワンマンが決定していて、そのプロモーションの一貫としてアルバムを作ったんです。野音には2008年に一度、大阪で一緒にやってきた「ミドリ」というバンドのクロージングアクトとして出たことがあり、それがこれまでで一番大きなステージでのライヴ経験だったので、 50歳を迎える自分へのごほうびとしてもこれを更新したいなという思いがあったんです。SWの西澤さんとそんな話をしていたら、こっそり野音出演権の抽選に応募してくれていて。競争率がめちゃくちゃ高いんですがなんと当たっちゃったんで、やるしかないなと(笑)
編:クリトリック・リスさんにとって、「自由」とは?
ク:自由って、自分一人じゃ実現できないものだと思います。会社時代は組織に守られて生きて来れたけど、会社を離れた今では、全国でできた人脈と、その助けなしでは成り立たないと実感しています。関わってくれる人には感謝しかないです。あとは、ストレスはなくなりました。
編:今後の展望はありますか?
ク:もともと流されるまま活動して今に至りますし、アーティスト名もちょっとリスキーなんで(笑)、夢は抱かないようにしています。今の活動の結果も後からついてくるものだと思うので、この先も淡々と続けていければいいなと。あとは、手伝ってもらっているスタッフにきちんとお給料を出して正式に雇えるようになったらいいなとは思いますね。
編:不安はありますか?
ク:不安についてはあまり考えないというか、 全国を回ってバリバリ現役で活動されている60代の先輩には勇気付けられますけど、その先は前例がないのでわからない。突然料理に目覚めるかもしれないし、年金をもらいながら考えようかな(笑)
編:健康管理など、意識されていることはありますか?
ク:年一回の健康診断は欠かしませんし、食事は自炊をするようにしてて。冬は鍋ばかりなんですけど、一人分の野菜を買うのが難しくて、結局身体に悪い量になってしまうという(笑)あと、昔は泥酔してステージに上がったり、「酒相撲」をやったりしていましたが、年間200本ライヴをしているので、さすがに酒量は減りました。でも地方公演の時に「酒相撲」を期待されたら、これはもう飲まざるを得ないですね(笑)
ライブ当日
ライブでもプライベートでも、スニーカーはVANSのTNTだけ。
ツアー中は漫画喫茶を多用するため、ほとんどのメンバーズカードを所有。
愛用のHIWATTのECHO−THEREMINは、廃盤のため10台のストックを所有。
長く聴いていても疲れないSHUREの215というイヤホン。すでに2台目だそう。
ミュージシャン
音楽経験のなかったサラリーマンが、行きつけのバーの常連客達と酔った勢いでバンドを組む。しかし初ライブ当日に他のメンバー全員がドタキャン。やけくそになりリズムマシーンに合わせてパンツ一丁で行った即興ソロ・パフォーマンスが、「笑えるけど泣ける」と話題となりソロ・ユニットとして活動を開始。過激なパフォーマンスでアンダーグラウンド・シーンの話題を集める。2016年には自身をモチーフとした映画「光と禿」で役者デビューし数々の賞を獲得。2017年47歳にして奇跡のメジャー・デビュー。2019年4月20日に、日比谷野音で生誕50年を記念したワンマンライヴを決行予定。
2019年4月20日(土)@日比谷野外音楽堂
時間:開場 17時00分 / 開演 18時00分
チケット料金:前売り 3,000円 / 当日 3,500円
※雨天決行 ※3歳以上要チケット
お問い合わせ:エイティーフィールド 03-5712-5227
ENDLESS SCUMMER
発売日:2019/2/20
レーベル:SCUM EXPLOSION
品番:SCUM-001
すでにライヴで披露されているクリトリック・リス流青春ソング「MIDNIGHTSCUMMER」や、先輩との関係を描いた「エレーナ」など、全12曲が収録。
過去の楽曲はほぼ打ち込みによって作られているが、本作は生ギターを使用した楽曲が増えボーカルは全て宅録。
ロック色が強く、感情豊かでテンションの高い作品となっており、コミカルでありながらエモーショナルなアルバムとなっている。
01. 四番目の女
02. MIDNIGHT SCUMMER
03. エレーナ
04. ちゃう
05. のんちゃん
06. 群青の純情
07. 俺はドルオタ
08. レイン
09. 転生
10. 味噌汁
11. ラストライブ
12. RAVE