COLUMN

2019.03.05

「よく描き、たまに書く」by kubo 第5回/スランプとなかよく

こんにちは、凹(kubo)です。
フリーランスのイラストレーターです。

この度、FREEZINEのコンセプトワードが変更になったと編集長に教えていただきました。

これまでの
「フリーランスという生き方に、エールを。」から、
「自由につくる人。自由をつくる人。」へ。
「フリーランスという働き方」から、より彼らの「作るもの・作ること」そのものへ焦点を当てていくそうです。
私も「働き方って言うテーマにこだわらず、もっと自由に書いていいよ」というお言葉をいただいたので、今回は少し趣向を変えて書いてみたいと思います。

というわけで今回のお題は、「スランプ」です。

クリエイターあるところにスランプあり

スランプ。
モノづくりをする人なら、誰もが。
本当に誰もが、陥ったことがあると思います。

突然何のアイデアも浮かばなくなってしまったり。
やってもやっても納得がいかなかったり。

私の場合、描いても描いても「何かが違う…」という状態になります。
線一本引くにしても、「私が描きたかったのはこの線だろうか」と不思議になってしまう。
それまで何も考えずにできていたことが、どうしてできていたのか分からなくなってしまうのです。

ひとくちにスランプと言っても

「スランプ」って、口当たりのいい言葉だと思います。

もちろんスランプ自体はありがたくない状態なんですが、作っているものがうまくいかないときに「スランプ」という名前で呼ぶだけで、いつかはこの状態が勝手に過ぎ去ってまた楽しくモノづくりができる気がしてくる。
自分だけじゃなく、この世のすべての作り手が同じ悩みを共有してくれそうな気がしてくる。

でも私、違うと思うのです。
ひと口にスランプと言っても、その原因は十人十色だと思うんです。
そしてまた、スランプを抜け出す方法も、十人十色だと思うんです。

私の場合、スランプだな~と感じる時、大抵はインプットとアウトプットのバランスが崩れています。

他の人の作品をたくさん見て刺激をうけて、自分の好きなものを再確認すること。
技術や構造を勉強して、知識の土台を作ること。
とにかくたくさん手を動かして、頭で吸収したものを手に覚えさせること。
実際に自分で作品を作って、手ごたえを感じること。

私は不器用なので、これらをバランスよくは行えません。
大抵いつも、どれかひとつにどっぷりのめり込んでいます。
「なんだかうまくいかないな…」と思った時は、ひとつだけ突出してこなしすぎて、他のレベルがついてこなくなっているのだと、ある日気づいたのです。

スランプとなかよく

「スランプは上達の前触れ」という言葉があります。
確かにそうだと私は思います。

自分の中でそれまでとれていた均衡が、崩れてしまったから、うまくモノが作れなくなる。
それは「変化」です。

ずっとモノづくりに打ち込んでいる人が、変化に直面した場合、それを乗り越えて熟練度が下がることはあまりないでしょう。
変化を乗り越えた先に待っているのは、きっとより上のレベルや、新しい境地に達した場所で均衡をとりなおした自分だと思うのです。

そう考えればスランプも愛せそうですが、それにしたって嬉しい状況でないのは間違いありません。
なるべく効率的に状況を脱して、次のステップに進みたい。
スランプに陥った時、じっと我慢してがむしゃらに手や頭を動かすのももちろん一つの方法だと思いますが、私は「自分の中で今どんな不和が起きているのか」を分析して解決に臨むことにしています。…毎回うまく答えが見つかるわけではありませんが。

ちなみに今の私は、実はスランプの真っただ中です。
最近、美術解剖学や遠近法の勉強に打ち込んでいたら、目先の技術ばかり養われて「自分が何を好きか」をどうやら見失ってしまっているようです。
これからしばらくは、たくさん素敵な作品を見て、刺激をうけたいな、と思っています。

PROFILE

凹(kubo)

よく描き、たまに書くイラストレーター。
仄暗くて寂しげなタッチの絵が得意ですが、本人はとても能天気です。
絵を描くお仕事があればぜひご連絡ください。

◆Mail
kubo.ekaki★gmail.com(★→@)