COLUMN

2020.05.27

「世界中の様々な場所と、出会った人、その思い出」 by 猫島虎雄 第9回/雄犬ルコ

ある時ダニーから、彼の部屋で丸くなって眠る若い犬の写真が送られてきた。
野良犬に優しくしたら懐いてしまったらしい、中国の田舎ではまだ野良犬がうろうろしているのだ。

雨に濡れてくんくん泣いている犬にソーセージをあげ、暖かい部屋に上げてしまったらその後彼の後を離れなくなったという。ダニーは始め犬を飼うつもりはなかったが、仕事の帰りを毎日待ち伏せされ、愛おしくなってしまったようだ。

ダニーは一年の3分の1以上海外出張がある生活を送っていたので、彼がいない時には私が彼の家に住み面倒を見るようになった。病院へ連れて行き注射をし、お腹の虫を駆除した。

名前を「Luko」とし、スペイン語風によく「ルキート」と呼んだ。

ルコは特別頭が良い犬だった。蹂躙されることを嫌い、メランコリックで、切なそうに夕日を眺め、全てを理解していた。そしておならばっかりした。
私たちはよく、詩を読むようにおならをする繊細なルコ、と笑った。デリケートなやつってお腹弱そうだもんね。

日に日に毛艶はよくなり、みるみる美しくなっていった。私とソファーで一緒に眠り、眠っているときはニヤニヤ笑っていた。

あるとき私がルコを散歩させていたとき、ルコは一匹で道を歩いている子犬を見つけ、仲良くなり家まで招待してしまった。弟分は「Taro」と言い、そいつも仲間の一員になった。

オス犬が2匹家にいると、家のルールは完全にマスキュリンだ。
プロレスで勝ったものが勝ち、声のでかいものが勝ち。圧倒的権力主義の縦社会。
おまけに弟でも兄でも私でも毛布でも、ぼやぼやしてるやつはレイプしまくる。大好物は血のしたたる骨つき肉で、ヴィーガンやフェミニズムなんてFUCK。私の思想には反するけど、それでも、どうしてこんなに美しいんだろう。

ルコが青年期に差し掛かる頃、すさまじい性欲が芽生え出した。ふわふわしたもの全てに発情し、腰を振った。もちろん弟にも腰を振った。眠っている私の腕や布団を夜な夜な犯しに来た。

私は去勢手術を受けさせるべきかダニーに聞いた。
ダニーは、それは絶対に絶対に反対だと言った。恋と交尾ができない身体になるなんて、欲望すら持てない身体になるなんて考えられないくらい可哀想だと言った。

人と暮らしている以上、どうせ交尾はできないのに?

ダニーの愛し方は常に無責任と紙一重だった。私にも犬にも。愛すれば愛するほど首輪はつけず、自由に走らせ、相手の性を認め、要望を尊重させようとする。
そもそもコロンビアの牧場で育った彼にとって、犬は放し飼いが基本だった。一日中走り回ってウサギを追っかけて川で水浴びしてあらゆるものの匂いを嗅いで、リスクは大きいし短命だけれども、表で自由に犬らしく生きる、それが犬にとって一番幸福であると考えていた。

一方の私はどうだろう、実家で飼っていたメス犬は去勢手術を受けていた。紐をつけられカバンや檻に入れられた。テレビを見ながらソファーでごろごろして、アレルギーの薬を飲んで一生を終えた。食べることしか楽しみがなかった。
彼女にだって、本来は動物として生殖本能があったと思う。それを人間の都合で奪い、その命を、永遠に未熟である赤ちゃんの代用とされたのかもしれなかった。

赤ちゃんの代用。

ルコだってタロだって、私は彼らの自由や性を黙殺して、赤ちゃんの代用として都合よく可愛がろうとしているのではないか。犬が人間の所有物となってしまった現代社会においては、彼らの本来の生活は叶わないにしても、愛する限りできる限り幸福にするにはどうしたらいい?

昔、日本でバイトしていたバーのオーナーが、オスの小型犬を飼っていた。
そのオーナーが、「かわいそうだからな、おれが手伝ってよ、時々犬に射精させてやる」と言っていた事を思い出した。

私にはどうしても、そこまで出来そうになかった。


ルコはある発情期にあたる秋の夜、ダニーとの散歩中に走り去ってしまった。

ダニーは「家のすぐ前だし、ルコが帰りたかったら帰ってくるだろう」と言った。
それでも私たちは懸命に探し、聞き込みをしたが、あれからルコは帰ってこなかった。

ダニーは無責任だし、犬を飼う資格がない。そうだと思う。だって表は危ないし、ルコは死んでしまう可能性が高い。
でもルコがもし、元のように野良犬にもどりたかったとしたら?恋の季節になって、いてもたってもいられなくなり、アパート生活なんかしていられなくなっていたら?

もし、犬でなく子供であれば、命を守る代わりに自由や性を制限することが正しい愛し方になると思う。だけど、犬は子供ではない。動物である犬の自由を、できるかぎり尊重しようとするダニーの姿勢が正しいのか、永遠の赤ちゃんとして「守る」ことに徹する私の姿勢が正しいのか、答えは出ない。

ダニーに「ルコは恋の季節になって、FUCK相手を探しに走って行っちゃったんだよ」と言ったら、ダニーも悲しそうに僕だっていつだってそういう気分だよと言った。
(私が彼とセックスしなくなってから長い時間が経っていた。)
そんな私達がまだ一緒にいたのは、ルコのためだった。おまけに弟も見つけてきて、それぞれお互いに孤独な4匹がひとときの家族のようなものを作ったのは、不思議で特別な犬ルコのおかげなのだった。

もしルコがダニーの元に帰ってくるなら、私は射精を手伝ってはあげられないけど、可愛い雌犬のラブドールを買って送ってあげる。これでどうだろうか。満足できるだろうか。

(ちなみに、性欲少なめで従順なタロはちゃんとダニーの家で暮らしている。)

猫島虎雄

PROFILE

猫島虎雄

アジアに恋しているジプシー、愛犬家。女