COLUMN

2022.12.27

「文系恋人放浪中」by 赤城文 第11回 /これまでのこと、これからのこと

なんだかしばらくふわっとして掻い摘んだお話しかしていないような気もして、エレクトリックリボンに加入した事を機に自分の話をしてみようと思います

まずは12/4は赤城文生誕祭にお越し下さり本当にありがとうございました

憧れの新宿レッドクロス様の真っ赤な空間にみんなが集って、階段には刺すような真紅のフラワースタンドが聳え立っており胸がいっぱいです

サプライズで頂いた真っ赤なケーキを舌を赤くしながら食べ切りました。幸せです

頂いたお手紙やプレゼントを広げてしばらくふわふわしておりました。

話は戻って自分の事を話そうと思います

そもそも何故、今自分がアイドルでいるのか話そうと思います

3歳から習っていたクラシックバレエを高校入学と共に辞めて頑張る事を探している日々でした

私はバンドというカルチャーが凄く好きだったので17歳の時に白塗りメタルバンドに加入して一年間パフォーマーとして活動しました

学校帰りにスタジオやライブハウスに直行して、やった事もない「シャウト」という課題に苦戦しながらも日々魅せ方を研究して、ステージに立てて支持される人はどういう人なのかをすごく考えておりました

ここで初めてクラシックバレエを習っていて良かったと心底思いました。どんな振り付けにも対応できる体が出来上がっていることに気づきました

私は小さい頃から作詞がしたい、秋元康になりたい、自分なら最高なアイドルをプロデュースできるとファン目線ながら野望を持っていました

バンドを辞めた後に宙ぶらりんになりましたが私はアイドルにはなりたくなかったけれど表現を辞めるという考えはなかったので18歳の時に双子の妹と一年間セルフプロデュースユニットのローストチェリーマーケットとして活動しました

自由に好きなアーティスト様に歌いたい楽曲を依頼して、内なるものを全て歌にできる活動は最高でした

でも作詞は辞めたくなかったし、私はダンスは得意でしたが歌詞や振り付けを評価されたい気持ちが大きくてビジュアルを支持されるともどかしい気持ちになりました

当時ローストチェリーマーケットはバンドを脱退した双子のバンドの延長線上の活動だったので対バンも関係者もバンドばかりでアイドルとしては活動しておりませんでした。

色々な大人に出会って若さやビジュアルを活かしてアイドルをやるべきだと言われました

そんな風に言ってくれる大人もいれば、当時10代で若くて無垢そうな私は大人に囲まれる事は搾取の的になる事に気付き、ファンには恵まれたのに悪い大人に囲まれてかなり疲弊してやむを得ず活動停止致しました(今は復活して来年には新曲もリリースされます)

ミュージックビデオのダンサーに起用してくださった方がいたり、素晴らしい楽曲を提供してくださった方がいたり、今こうしてフリージン様でコラムを書かせて頂けているのは当時からお世話になっているみなみさんのお陰だったり、ミレディ♡チャームでもお世話になっているローストチェリーマーケット時代の関係者様も沢山いて

今の私なら当時の状況に打ち勝てるほど色々な方に支えられていたと思います。

踊りができるのにこんな理由で活動を辞めるのは勿体ないと自分でも思いましたが当時の私は小さくて(物理的には今も)戦えなかった

大学も精神的に通う事がキツく、希望がない状態が辛くて腹を括って自分で書いた歌詞の楽曲ををあらゆる事務所に送って「裏方になりたい」という自身の気持ちを尊重しようとしましたが

何度、どこに書類を送っても返事は返ってきませんでした

そこで私はアイドルになる気持ちはさらさらなかったのですが作詞をさせてくれるアイドルグループに入って自分の実力を高めて自分が作詞ができる事を認知される事が先なんじゃないかなと思い、

色々なアイドルオーディションに行って全て受かりましたが(自分で言うな)やっぱり自分はアイドルになりたいわけではないなと思い全て辞退しました

その時ちょうど私が大好きなアイドルがオーディションを開催しており、アイドルになりたい気持ちはまだ無かったけれど勇気を出して応募して最終審査にたった一人で残りましたが年齢が若過ぎるという理由で落ちてしまいました

そして全てを辞退したり落ちたりして1番最後に応募していた「あたし全部あげる。」(現:ミレディ♡チャーム)の面接で最後にしようと思い、

スイナさん(七森スイナ)に出会って作詞がしたい意を伝えたらデビュー曲の作詞と振り付けをさせていただけることになり

このグループの0を1にできると気づいてわがままを言ってデビュー曲「オーダーメイドガール」の作曲者の大鹿大輝さんにアレコレ楽曲のアレンジをお願いして、

衣装さんも撮影スタジオも私が決めさせて頂きました。

ここまで好きにやらせて頂いて昔からのファンの方も着いて来てくださると気づいた時にやるからにはアイドルとして頑張ろうと初めて覚悟をしたのと、

頑張る事にやっと出会えた私は思い切って大学を辞めて別の学校に編入して環境が大きく変わりました。

でも、地下アイドルの楽曲は好きで聴いていましたが私が知っているアイドルのカルチャーの代表格は中森明菜様だったので自分のストイックなやり方が全然理解されなくて「私は頭が硬くて時代に合ってないなぁ」と長い事葛藤した記憶です

愛嬌も大事だけれど見ているだけで満たしてくれるコンテンツであり、チケット代グッズ代以上の唯一無二の容姿と抜かりのないパフォーマンスと意思を持った憧れられる存在でなくてはお客様に失礼だと今でも私は思っております。

そんな風に一年間活動していた私を見つけて理解してくれた同じ考えを持つはるきちゃんが「あたし全部あげる。」のオーディションを受けてくれて

いざお披露目するぞという前に紆余曲折あり私とはるきちゃんの二人体制となって「ミレディ♡チャーム」へと改名して新たな門出を迎えました

その間とても彼女に支えられ、素早くグループは立て直されて短い期間で自信を持って新体制を迎える事ができました。本当にありがとう

ミレディ♡チャームとなってから半年も経たずに二人でエレクトリックリボンへの加入が決まり、正直寂しい気持ちの方や混乱している方もいると思いますが

約五年間表現に向き合って来た自分が少しずつ認めて頂けている証拠だと思いながらなんにも変わらず私はあなたの前にいます

ミレチャもチェリマケも変わらず活動します

人生は一度きりなので怠惰で臆病な私ですが目を瞑って素敵なチャンスに飛び込む事にしました

時の流れは早く、変化は私を人間的に成長させてくれると知ってからは目を瞑って全てに飛び込むのです

こんな風に私のまんまで活動している私に声をかけてくださったぴっぴさんありがとう。

鼻は効くようになりましたがまた大人につけ込まれたり裏切られるかもしれない

先のことなんか誰にも分からない

生きていれば良い、死ななきゃ良いのです

ぴっぴさん、みんみんちゃん、はるきちゃんもいるから大丈夫

ゆっくり受け入れてくれたら嬉しいです。

ミレチャしか好きじゃなくても、チェリマケしか好きじゃなくても良いのです。

どこにいても赤城文は赤城文なのでね

応援してくれる皆様のことが私は変わらずずっと好きで、いつもあなたに会える事を願ってステージに立っています

良いお年を!来年もよろしくお願いいたします🎍

PROFILE

赤城 文(アカギ アヤ)

2000年11月28日生まれ 東京都出身
「エレクトリックリボン」に2023年12月23日に加入。
セルフプロデュースアイドルグループ「ミレディ♡チャーム」のドールレッド担当と実の双子の妹(可愛唯)と共に「ローストチェリーマーケット」として活動中。
主に作詞と振り付けを行なっている。

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