FEATURE

2023.12.05

にたないけんの人生の転機になった10の音楽

FREEZINEが選ぶ「人生の転機になった10の音楽」シリーズ。
第35弾は、ひとりで歌とギターとハーモニカ、ロックバンド「ジョズエ」としても活動するにたないけん!

もしもその音楽と出会っていなければ、いまの自分はない。人は誰しもが、そんな人生の転機となった音楽を持っているもの。そこでこのコンテンツでは、各界のFREEZINEたちに、自分史上において転機となった10の音楽を選んでもらい、当時のエピソードと共に紹介していただきます。選ばれた音の並びから、人となりが見えてくる。

X JAPAN『BLUE BLOOD』

今でこそギターを弾きながら歌ったりしているが、僕のバンド人生はドラムから始まる。
高校1年の時、にたない青年は軽音楽部に入部。以降、高校時代3年間ドラムを叩き続ける。
毎週木曜日の放課後は音楽室に行ってバンド演奏に明け暮れた。
でかい音が出せる。ただのそれだけが、にたない青年にとってすべての価値観を超えて一番大切なことだった。
ドラムは、エレキギターは、エレキベースは、紛れもなく、人生において聞こえてきた音の中で一番でかい音だった。
音を出している時は、自分が世界の中心にいる気分になったし、同時に、自分が自分じゃなくなるような感覚になった。

なんの曲をやったかというと、すべてコピーだ。まだその頃は自分たちの曲を作るという発想も技術もなかった。
中でも、当時はハードロックやメタルが部活内で流行っていたから、国内海外問わず、こぞってみんなそういった系譜のバンドの曲をコピーした。

その中で僕が一番ハマったのがX JAPANだ。
今回「BLUE BLOOD」というアルバムを挙げたが、実を言うとライブビデオ(もちろんVHSの時代)で一番衝撃を受けた。
タイトルを全く思い出せないので紹介はできない。
ライブパフォーマンスの激しさ、ルックスの派手さ、YOSHIKIのカリスマ性、頭がもげそうになるぐらいヘッドバンギングする客たち、それらすべての刺激的な極彩色に、多感な時期のにたない青年は、いともたやすくのめりこんでいった。

まんまと影響されてツインペダルも買ったし、X JAPANの歴史を綴った本も買った。
ある時、「YOSHIKIってドラム実は下手くそじゃね?」という話が部活内で湧きあがり、密かに部活のみんなに腹が立ったりもした。
しかし、ゆくゆくSHAM SHADEやMR.BIGなどのコピーをしていたら、(たしかにYOSHIKIってそんなに上手くないかもしれない・・・)と思ってしまったのも事実である。

以下余談であるが、X JAPANは現在まったく聴かなくなってしまったが、hideはいまだに大好きで、カラオケに行くことになった際には歌ったりしている。
hideの話になると、X JAPAN以上に話が長くなるので、ここでは割愛する。

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NIRVANA『NEVERMIND』

メタルとハードロック漬けだった高校生のにたない青年にまったく新しい光と闇をもたらしてくれたのがNIRVANAである。
今も昔もドラムというのは絶対的に人口が少ないので、バンドを2つや3つ掛け持ちすることが多くて、例に漏れず、僕も軽音楽部内でいくつかバンドをやっていた。
その中でも、阿部君はメタルはやらないし、あまり他の生徒とつるまず、孤高の雰囲気を漂わせていた。そのおかげで避けられてたけど。
阿部君にある日、この曲をやりたいと言われて渡されたバンドスコアのコピーのタイトルには、NIRVANA『Smells Like Teen Spirit』と書いてあった。
なるばな?なんて読むんだ?
家の近くのレンタルショップで、その曲が収録されているアルバム「NEVERMIND」を借りて聴いてみた。

まず曲がめちゃくちゃ遅いし、ギターソロもしょぼいし、声も低いし、ツーバスもタム回しもない。
なんかめんどくさそうに歌うな。やる気あるのかこいつ。
これが当時脳がメタルに犯されていた僕の、なるばなに対する率直な感想だった。

でも、いざ音楽室で演奏を合わせてみると、今まで感じたことのない興奮と高揚に襲われた。
聴くのと演るのでは、まったく違ったのだ。
これはいったいなんなんだ?遅いけど、なんかいい。激しい。なんかぐしゃぐしゃしてるのがカッコいいかも。
あと、なんか切ない。え、なんなんだこの感情は?
こんなのメタルで感じたことないぞ。

そこからは貪るように聴いた。アルバムも全部買った。
カートコバーンの自伝も買って読んだ。
自分も27歳で死のうと決意した。
18歳の時、弾けないくせに初めて買ったエレキギターは、カートコバーンと同じサンバースト柄のジャガーだ。
あの日阿部君は、メタルという箱の中から僕を連れ出してくれたのだ。

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RED HOT CHILI PEPPERS『Mother’s Milk』

NIRVANAの『Smells Like Teen Spirit』と一緒に阿部君がやりたいと言って渡してくれたバンドスコアがもう一つある。
RED HOT CHILI PEPPERS、通称レッチリの『Stone Cold Bush』だ。
これもレンタルショップで、この曲が収録されてるアルバム「Mother’s Milk」を借りて聴いてみた。

今までメタルばっかり聴いてきた脳にとっては、わけがわからなかった。
処理が追いつかないのだ。カッコいいのかどうかすらもわからない。
メタラーからすると、なんだか軽くて乾いていて、初めての味だった。
でも『Stone Cold Bush』はアルバムの曲の中で一番激しかったので、そこは嬉しかった。

曲を覚えて、いざ音楽室で演奏を合わせてみると、めちゃくちゃ興奮した。
キメ(楽器隊同士で同じフレーズを合わせて演奏すること)が多くてなんかカッコいいのだ。
さらにこの曲にはベースソロがある。メタルでベースソロなんて聴いたことない。
しかもピックで弾くんじゃなくて、なにやら指でばちばち叩いていて、それはなに?と聞くと、「チョッパーだよ」と言われて、チョッパーちょーかっけー、やべえ、レッチリすげえ、ギターソロがなくてもツーバスがなくてもかっこいいなんて超すげー、という恍惚状態に突入し、さっそく発売してるアルバムをすべて買い漁ることになる。
阿部君はグランジだけじゃなく、ファンクとミクスチャーもにたない青年に教えてくれたのだ。

ニルヴァーナとレッチリに共通してることがある。
尊敬しているミュージシャンや同世代のバンドの曲を容赦なくカヴァーしていて、それがたまらなくかっこいいのだ。
ヴァセリンズ、デヴィッドボウイ、レッドベリー、スティービーワンダー、ジミヘン、ロバートジョンソンなどなど、ニルヴァーナとレッチリがカヴァーしてたから知ったミュージシャンは数知れない。
そして原曲を聴いてみたらカヴァーのほうがカッコよくてなんかがっかりする、というくだりも御愛嬌である。

レッチリも、アルバムを聴きこむというよりはライブDVDにハマった。
激しいパフォーマンスもさることながら、やってることがCDとまったく違うのが衝撃的だったし、ギターのジョンフルシアンテとベースのフリーが向かい合って即興演奏するのも魅力的だった。
あのライブの運び方は今でもすごく影響を受けている。

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Hi-STANDARD『MAKING THE ROAD』

ニルヴァーナやレッチリにハマり始めたにたない青年の身に、次はメロコア&青春パンクブームが訪れる。
たくさんのそういったバンドが世に現れ始め、インディーズという単語を初めて認識したのもこの頃だと思われる。
一番売れて有名になったバンドがおそらくMONGOL800、通称モンパチではないだろうか。

高校3年生の時の文化祭でやるバンドで、僕は青春パンクのコピーバンドのドラムに抜擢された。
軽音楽部の中でも普段ほとんどつるまないメンバーだったが、文化祭出たさに引き受けた。
THE BLUE HEARTSやGOING STEADYやSNAIL RAMPのコピーをした。
どの曲も速くて激しくて簡単で、叩いていて楽しかった。
この頃には、ギターソロがないとダメとか、ハイトーンボーカルじゃないとダメとか、ツーバス踏みたいとか、そういうメタル脳からは完全に脱却していた。
歌のメロディが耳に残るのも心地良かった。なにしろ邦楽のバンドをほとんど聴かずに育ってきたものだから、思わず口ずさんでしまうような良いメロディというものが単純に新鮮だった。

ブルーハーツに関しては知ってる曲だし楽しさはあるけど、当時はピンと来なかった。
歌詞が、なんだか青臭いし、説教っぽく聞こえたのだ。
僕は中学高校6年間男子校である。その6年間に、青春なんていうものは一切存在しなかった。
休みの日に同級生と遊びに行くなんてこともほとんどしてないし、ドラムとプレステとカードゲームにまみれた6年間だ。
話した女性は、お母さんとおばあちゃんと英語の北条先生の3人だけだ。
だから青春パンクの歌詞に関してはブルーハーツ以上に何も響いてこなかったし、実際青春パンクを聴いているのはクラスの中でもカースト上位のリア充生徒たちだったので、それがなんだか腹立たしくて、青春パンクという音楽性自体は僕は好きになれなかった。

唯一好きになったのがGOING STEADY、のちに銀杏BOYZへと続いていくバンドなのだが、その話をすると3万字を超える可能性があるので割愛する。

そんなにたない青年にドンピシャにハマったのが、Hi-STANDARD、通称ハイスタである。
なにしろ曲が良かった。英語詞だから歌詞が何を言ってるのかわからなかったのも良かった。
しかもハイスタのドラムは、同ジャンルの他のバンドのドラムと比べて、他の追随を許さないほど難しかった。
それが元メタルドラマーのハートに火をつけた。
僕は恒岡章のドラムプレイにぞっこんになり、必死で耳コピし、スティックも恒岡章が使ってるモデルと同じものを使った。
のちに、恒岡章がもともとメロコア畑の人じゃなくてラテン系ブラックミュージック出身の人だと雑誌で読んで、ひどく感銘を受けたのを覚えている。
だからあんなメロコアに似つかわしくない独創的なフレーズが思いつくのか、と。

ハイスタにも、ニルヴァーナやレッチリと同じ共通点が二つある。
ひとつ、すすんで先人のミュージシャンのカバーをしていて、そのどれもがカッコいいこと。
エルヴィスやママス&パパス、ブラックサバス、ザ・フーなどは、ハイスタから教わった。
もうひとつ、ライブDVDをとにかくよく観た。
「ATTACK FAR FROM EAST」だったかな。
ただでさえ速い曲が、ライブだと1.5倍速になっていて、こんなんできるわけねえよと愚痴りながら、笑いながら泣いた。

文化祭でやったのはド定番曲『STAY GOLD』だ。
曲中、興奮した生徒たちが大勢ステージに上がってきて、ギターの線を引っこ抜かれ、マイクを奪われ、ドラムだけがずっと鳴っていた。

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eastern youth『旅路ニ季節ガ燃エ落チル』

メロコアにハマっていた高校生の時期に、一緒にバンドを組んでいたベースの酒井に教えてもらったのがeastern youthだ。
ギターボーカルの吉野寿と当時高校生の酒井は見た目がとてもよく似ていたので、アーティスト写真を見たとき、酒井がCDデビューしたのかと思った。

正直最初に聴いてもピンと来なかった。
これはなんていう音楽なんだ?
坊主で眼鏡のおっさんがなにやら叫び散らしている姿は衝撃だったし、確実に今まで一度も聴いたことのない類の音楽だった。

歌詞から好きになった。
古い言葉遣いの日本語で歌われる少々小難しい歌詞は、文学性を帯びていて、そこに惹かれた。
直接的に歌われるブルーハーツの歌詞が苦手だったにたない青年の心は、eastern youthの歌詞によって撃ち抜かれた。
”いずれ暮らしの果てに散る”
日本語ってなんてかっこいいんだろうと思った。

そこからはずぶずぶにハマり、歌詞だけじゃなくサウンドも大好きになり、ライブにもよく行き、ライブDVDもよく観た。
いつだったか千葉の柏の小さなライブハウスでほぼゼロ距離で観たeastern youthのライブは、生涯で観たマイベストライブだと言えるかもしれない。
客も9.5割が男で、みんなで拳をあげながら、叫び暴れ泣いた。
いまだに新作のアルバムが発売するたびにちゃんと買っている数少ないバンドだ。

イースタンは当時洋楽至上主義だった僕に新しい世界を見せてくれた。
今でも、日本で一番好きなバンドは?という問いに対しては、eastern youthと即答している。

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NUMBER GIRL『シブヤROCKTRANSFORMED状態』

NUMBER GIRL、通称ナンバガにも多大な影響を受けている。
ナンバガを知ったのも、eastern youthと同時期だ。
どのアルバムを最初に聴いたのか忘却したが、eastern youthと同じで、初めて聴いたときは良さがわからなかった。
歌詞も独特な文法でなにやらシュールだし、歌っているというか、がなっている。
しかも秋葉原にいそうなアニメオタク風のおっさんが(老けていただけで実際にはおっさんではなかったことを後で知る)殺人でも犯しそうなほど鋭い眼光で歌っている。
のちにこの人が、この男が、彼が、This is 向井秀徳だと知ることになるのだが、見た目の第一印象は良くなかった。

それに反してギターの田渕ひさ子は一発で興味を惹いた。
エレキギターをかき鳴らす女性というものにそれまで出会ったことがなかったし、僕は女性の歌やガールズバンドにはハマらない性質だった。
だからなおさら、おかっぱにした小柄な女性が見た目と反したぶっとくするどいギターサウンドを出しているのを聴いて、ぶっ飛びたまげ崩れ落ちた。
もちろんベースの中尾憲太郎もドラムのアヒトイナザワも大好きだ。
ナンバガは、メンバー全員のキャラと演奏が奇跡的なバランスで全部前に出て存在している類稀なるバンドなのだ。

スタジオアルバムはピンと来てなかったけど、今回紹介するこの初期のライブアルバムを聴いて、脳天を貫かれた。
1曲目の『EIGHT BEATER』、これから確実に何かが始まると思わせる幻想的で不穏で危ういふわふわした演奏からの、カウント無しのスネア一発からの、ゴリゴリに硬いエイトビート。有無を言わせず、本能で沸騰する血。血は涙になり、こぼれおち、唇に入り、あー、しょっぱい。
以降の人生において、バラードじゃなくて激しい曲で泣いてしまうという、にたない青年の音楽性癖を形成したのは、まごうことなきナンバガである。

この洗礼のような体験を味わってからはスタジオアルバムも好きになった。ライブDVDも買った。
eastern youthとナンバガが好きすぎて、当時のにたない青年にミッシェルとかブランキーを聴く時間はなかった。
だから未だにミッシェルとブランキーはほとんど聴いてないし、よく知らない。

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weezer『weezer(deluxe edition)』

いわゆるウィーザーの1st、通称青盤。ロックバンド史上に燦然と輝く大名盤だ。
洋楽ロックの中でなら一番聴いたアルバムだ。
なのに、なんのきっかけでウィーザーを知ったのかは忘れてしまった。
峯田和伸(銀杏BOYZ)が何かの雑誌の中で、無人島に持っていく10枚の中に数えてて、それで聴いたんだっけかな。

このアルバムに関しては特に説明は必要ない。
すべて名曲。
聴いたことのない人は、これから初めてこのアルバムを聴けるなんてうらやましい。
特に最後の曲『ONLY IN DREAMS』の、歌のない長い後奏の部分。
その場で即興で続いちゃったかのような、ロックの興奮と虚しさの全てが詰め込まれたかのような、ロックってこれだよなって心底言いたくなるような奇跡的なテイク。
思い出すだけでたまらない気持ちになるよ。

なんで今回通常盤じゃなくてデラックスエディションにしたかというと、Disc2にはB面集や未発表音源が入っていて、その中に収録されている『MYKEL AND CARLI』っていう曲が大好きだからだ。
高校生の時に布団の中でヘッドホンで爆音でこの曲を初めて聴いた時、鼻の奥がじんわり痒くなって、悲しいとか嬉しいとかではない、感情とは別のところからやってきたさらさらした涙が出て、自分でも恥ずかしくなって思わず掛け布団を頭からかぶったことを、今でも強烈に覚えている。

以下余談ながら、僕のやってる3人編成のロックバンドジョズエは、3人ともウィーザーの1stが好き過ぎて、リハーサルスタジオで自分たちの曲の練習そっちのけで、アルバム全曲コピーしたことがある。
誰にも聴かせたことないし、どこにも披露していない。あんなに楽しい時間はなかった。
そしてコピーしてみて初めてわかったのが、ウィーザーってああ見えて音楽理論にちゃんと基づいてる偏差値激高の超エリート集団なんだよね。

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友部正人『にんじん』

23歳の時、ドラマーとして活動していたバンドが解散し、手持ち無沙汰になったにたない青年が始めたのが弾き語りだった。
なんでドラマーだったのに急に弾き語りを始めたかというと、歌に興味を持ったからではあるんだけど、もっと正確に言えば、友部正人というミュージシャンに出会い、ぞっこんになってしまったからだ。

ある時、大槻ケンヂの『グミ・チョコレート・パイン』という小説を読んでいたら、友部正人の歌詞が引用されていた。
”中央線よ、あの娘の胸に突き刺され”
意味はよくわからないが、衝撃的な歌詞だった。
友部正人って一体誰なんだということになり、その歌詞が使われているのが『一本道』という曲であり、その曲が入っている「にんじん」というアルバムをタワレコで見つけて買った。
どういう声とメロディで”中央線よ、あの娘の胸に突き刺され”が歌われているのかが気になったのだ。

素朴で、枯れていて、芯があって、まるで人生をすでに1周回ってきたような声だった。
アコギと声のみで構成されたその音楽は、今まで聴いてきた、いわゆるフォークと呼ばれている音楽のどれとも違った。
むしろそれまでフォークというジャンルはちっとも好きになれなかった。
ところが友部正人は違った。
詩情があり、皮肉があり、比喩があり、諧謔があり、真摯があり、諦観があり、文学があり、反骨があった。
すごくとがった表現をしていると思った。
フォークというよりパンクだと思った。

歌うという行為に対して、人前でやろうというほどの興味はなかったのに、こういう表現なら自分もやってみたいと思った。
アコギは持っていたけど、なんとなく触る程度で、腕前は数種類のコードをかろうじて押さえられるくらいのひよっこだった。
でもギターの技術に反して歌はどんどんできてしまうので、拙いながらにライブハウスで自作の歌を発表するようになった。
ギターボーカル人生の始まりである。
その初ライブの時に歌った『ライフイズビューティフル』という曲はいまだにバンドで演奏している。

弾き語りをやっていると、そういった界隈の古いフォークのミュージシャンが好きかどうか聞かれることも多い。
高田渡、なぎら健壱、吉田拓郎、三上寛、遠藤賢司、友川カズキ、忌野清志郎などなどだ。
ところが僕はそのへんの音楽は通っていないし、よく知らない。
友部正人に影響を受けていますと言うと、誰それ知らないと言われることもよくある。
逆に、僕の歌を聴いた人に、友部正人好きでしょ?と言われることもよくある。

十字路にもしも悪魔がいるんだとすれば、僕にとっての悪魔は友部正人だ。
今もそそのかされ、たぶらかされ、僕は歌を歌っている。

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Lightnin' Hopkins『MOJO HAND』

その日僕は、西荻窪TURNINGというライブハウスで弾き語りのライブがあり、開演までの空き時間、特にすることもなくフロアで一人ぼーっとしていた。
やがて開場するも、お客さんは誰一人入ってこない。
代わりに、PAさんが選曲したのだろう音楽が会場に流れ始める。
ぼーっとしてたので別に気にも留めてなかったのに、聴いてるうちになんだか気になってくる。
なんなんだ、この音楽は。
アコギと歌の二つしか鳴っていない。でもフォークには到底成しえない不思議な怪しさが漂っていて、大人の空気を感じる。
時間帯で言ったら夜だ。しかもかなり深い夜だ。まるで煙草や酒や泥が言葉を覚えて喋っているような音楽だ。
これは誰ですか?とPAさんにわざわざ聞きに行った。
そしてPAさんが見せてくれたアルバムジャケットがLightnin’ Hopkinsの「MOJO HAND」。
これが僕と黒人アコースティックブルーズとの出会いだ。

今までブルーズといえば、暑苦しくて、もっさりしていて、ださいイメージがあった。
エレキギターで延々とギターソロを弾いて自分に酔いしれてる印象があって、あまり好きになれなかった。
ところが、ライトニンは違った。
適当に歌ってるように聞こえたし、曲の速さも一定じゃないし、譜割りも変だし、突然終わるし。
メロディは時折弾くけど、長ったらしいソロのようなものはない。
でも、淡々としている中に、静かに燃える激しさが漂っている。
上手く言えないけど、旨味、のようなものがあった。
僕にとってのブルーズの第一印象は、音楽というより、言語に近かった。
急に黙ったり、思わず興奮して大きな声を出したり、すごく会話みたいだな、と思った。

一番びっくりしたのはその演奏方法だ。
CDで聴いていると、ギターが2人いるように聞こえるのに、実際は1人で弾いているというのをあとで知って、本当に驚いた。
親指で低音弦を弾きながら、他の指で高音弦をはじいてメロディを弾くという奏法で、俗に言うフィンガーピッキングという奏法だ。
それまではピックを持ってじゃかじゃか弾くしか能がなかったにたない青年は、この奏法に革命的な衝撃を覚え、それからというものの、教則ビデオを観たり、youtubeを観たりして、このカントリーブルーズギターの世界にのめりこんでいくこととなる。

僕のレパートリーには、どブルーズをやるような持ち曲はないけど、この時の練習は、音楽的な幅や豊かさを大いに広げてくれた。
そんで、あれから、いろんな黒人ブルーズマンを聴いてきたけど、やっぱりライトニンがいちばんだな。

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Miles Davis『1958 MILES』

20代後半、僕は、ずぶぬれシアターという自分がギターボーカルのバンドをやっていて、その日はずぶぬれシアターの解散ライブの日だった。
ライブが終わって、朝まで飲んで、始発で帰った。
家に帰っても、脳が火照っていてそんなに眠くない。
ふと、買ったばかりのレコードプレイヤーが目に入り、そうだ、せっかくレコード買ったんだから聴いてみよう、そう思い立ち、昨日ライブ前にディスクユニオンでジャケ買いした500円のジャズのレコードに針を落とした。
1曲目のイントロのピアノが流れてきた瞬間、透明な液体が目から出てきた。
正体不明のまったく新しい感情になった。

ジャズも初めてなら、レコードも初めてだった。
すさまじいダブルコンボだ。
レコードは、今までのCDと違って、音が聞こえるという感覚じゃなかった。
鼻の先っぽに音があって、なんなら手を伸ばしたらさわれそう、そんな感覚だった。
僕はオーディオにハマるような性格じゃないので、スピーカー付きの1万円ぐらいの安いプレイヤーだったけど、それでも今までの音響の概念を覆すには十分すぎる代物だった。

バンドを解散したばっかりの精神状態ということも手伝って、僕は眠らずにそのレコードをいっきに聴いてしまった。
曲がいいとか悪いとかそういう次元の聞こえ方じゃない。
音なのに、黙って、という言い方はおかしいんだけど、ただただ黙って音がそばに寄り添ってくれた。

そこから僕はジャズにハマっていくことになる。
この記事を書いている今もジャズが好きだ。
自分でジャズをやろうとは思わない。
それが良いのかもしれない。
だから素直な気持ちでずっと聴けるのかもしれない。

今では、昔あんなに聴いていたハードロックもメタルもグランジもミクスチャーもメロコアもパンクもフォークもあまり聴かなくなった。
最近は、歌ってなんかうるさいなと思ってしまって、避けるようになった。
ジャズやアフリカンアフロやプログレなどのインスト(歌がないこと)を好んで聴くようになった。
それでも不思議なことに、歌がない場所にいるのに、そこから生まれるのは歌なのだ。

そういえば、あの初めてレコードに針を落とした時の、1曲目のイントロのあのピアノは誰だったんだ?と思い、ジャケットの裏に書いてあるクレジットを今確認してみたら、ビル・エヴァンスだった。

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改めて「人生の転機になった10の音楽」を選んでみて。

挙げていったら本当は20ぐらいあったんですが、なんとか無理やり10にしぼりました。
そして今回選んだ10枚は、転機になった10枚ではあるんですが、一番好きなアルバムってわけではないです。
今回の10組のアーティストだったらマイベストアルバムは別のアルバムです。ナンバガとウィーザー以外は。
それってつまり、初期衝動よりも大きな衝動がちゃんとあとから来てるってことなのかな、と思い、安心(?)しました。
あと、今回この企画をやってみて改めてわかったのが、Jポップ系は全然通ってないこと、ビートルズもストーンズもよく知らないこと、色々聴くというよりも好きなアーティストが見つかったらとことん掘り下げるタイプだということ、というのがわかりました。
そして、僕はライブアルバムが好きみたいですね。
今もスタジオ盤よりライブアルバムのほうが好んで聴いてる気がします。
ライブが好きなんでしょうね。
時間をかけて綿密に計算して作り上げられたものよりも、どっかーんばっこーんが好きみたいです。
関係ないことたくさん書いて膨大な文章量になってしまったんですが、書いていて楽しかったです。
読んでいただき、ありがとうございました。
音楽が鳴っている場所で、また会いましょう。

PROFILE

にたないけん

男。
1984年生まれ。
東京都葛飾区立石在住。
ひとりで歌とギターとハーモニカ。
高校生からずっとドラムを叩いていたが、2008年アコースティックギターを買って歌をつくって歌いはじめる。

ライブ演奏をするようになる。
都内を中心にどこでも歌うようになる。
持ち曲は約150曲。
活動10周年目に10時間ワンマンライブを完奏。

2016年、男3人編成のロックバンドジョズエ結成。

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