PEOPLE
2020.12.15
DRUGONDRAGON インタビュー | 石ころに価値をつけて夢を見させる、という面白さ。
取材・構成:清水 里華 撮影:ゆうばひかり
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2020.12.15
取材・構成:清水 里華 撮影:ゆうばひかり
編集部(以下、編):独特の世界観で中毒性の高いオルタナティヴサウンドを紡ぎ出す孤高のアーティストDRUGONDRAGONこと西方龍さんですが、音楽をはじめたきっかけは?
DRUGONDRAGON(以下、D):小学校5〜6年の頃だと思うんですが、ある時、父親が中古のアコギを買ってきて、兄と一緒に教わったのが始まりでした。初めて弾いた曲は「サザエさん」。昔あった「月刊歌謡曲」でいろいろ練習しました。その後は兄の影響でどっぷり90'sオルタナティヴ漬け、成長するにつれ兄はHIPHOPなど当時流行っていた「B系」へと傾向するようになるのですが、俺はオラついた当時のトレンドが苦手で、14〜15歳の頃はひたすら暗い方へとネガティブな方向へと進んでいきました。中2病なんてレベルじゃない、闇です。でも、学校にも行けないでひきこもり、もしくは金髪にイキって非行に走るステレオタイプはダサすぎると思う天邪鬼で、何をすれば良いのか答えが見えなくてキツかった。高校生になれば状況が変わるかもしれないと思って進学してみたものの、結局何も変わらなくて高校1年生の夏には退学していました。そこでやっと楽になれた。苦痛がなくなり、やっと自分の人生が始まったというか。
編:高校を辞めて苦痛から解放され、人生が始まったタイミングでお兄さんと組んだバンドが「curagari」だったんですね。
D:その後兄は就職して、「仕事しながらでもバンドやろう」って誘ってくれたんだけど、俺は「趣味でやるつもりはない」って言って、組んだバンドが「bronbaba」でした。そして20歳を迎えた2007年に、ミニアルバム「LOOP&LOOP」と1stアルバム「kinder book」をリリースしました。メンバーチェンジを経て22か23歳の頃、兵庫出身の丸山くんが加入しました。元々bronbabaの熱狂的ファンでカメラマン志望だったんだけど、「ベース弾いてみてよ」と声をかけたんです。楽器は触れるだけのヘタクソなんだけどテクニックよりも、一緒にいられるかどうかが大事だったんです。結果、1番の友人として最後まで一緒にいますね。(DRUGONDRAGON/OLDのMVは彼の作品)
編:バンドだったbronbabaから、ソロプロジェクトに移行した経緯は?
D:bronbabaの最後は「消滅」でした。bronbabaとして活動する資格が無くなっていたのに、ずるずると続けてカッコ悪いものにしてしまっていた。それに、ずっとメンバーに対して「これやれ!」って自分のこだわりをワーワー押し付けていたんだけど、ある時それがイヤになっちゃった。で、「何がやりたい?」ってメンバーに聞くようになった。けど、何も出てこない。それもそのはずで、自由な意見を出さない、出せないの関係を長く続けすぎていた。俺が全部つぶしちゃってた。で、意味も意義もなく活動していることでこれ以上ダサいものにしたくないと思い「やめよう」というか「もうできない」と消滅していたことに気が付きました。
編:そして30歳から始めたソロプロジェクト「DRUGONDRAGON」ですが、いまや息子さんと同じ4歳なんですね。
D:そう、子供が生まれて未来とか希望がチラつく人間が、怒りや憤りを原動力にしたbronbabaのようなバンドをやってたら嘘だろ?って思いもありました。
編:bronbaba時代はギターでしたが、DRAGONDRAGONでアナログシンセを多用するようになった理由は?
D:ギターはいまでも弾いてるんだけど、人前で弾くとなると弾き語りになっちゃう。アナログシンセは何がいいかというと、良さというか、、一番「空っぽ」な感じがいいんです。音楽らしいというか。ピーとかプーとか、そんなクソみたいな音をみんなでありがたがる感じが。そんな音に神を宿すじゃないけど、価値をつけて売って、それをみんなでありがたがるなんて普通じゃないでしょ?バンドと同じだと思う、その辺に落ちている石ころに価値をつけて売っているようなもので。シンセはそれよりひどいと思う。石ころと違って実体すらない、ピーとプー。
編:空っぽな音に価値をつけて売る、という感覚は面白いですね。
D:よく周囲から「アナログシンセの音は太い」なんて声が聞こえてくるのですが、俺思うにそんな事ないです。自分で苦労して作った音だから愛着が湧いちゃって音を大きくして聴きたくなる、聴かせたくなる。結果、音が太く大きく聴こえるのは当然。で、絶対スマホの方がいい音だと思う。でもアナログシンセのピーとプーには勝てない。その理不尽と曖昧さ、空っぽの音に価値を付けて夢を見させられるのが面白いのかな。
編:アナログシンセ、一部では流行っているようですね。
D:流行ってます。みんな金かけすぎです。ピーの音が出るオシレータひとつで3万とか、プーの音に変えるモジュラーでまた3万とか。カメラもそうでしょ? オールドレンズで覗くと、世界が違って見える!なんてもはや宗教の世界ですよ。でも、そーやって高い金払って後戻りできないとこまでいくと、黒だって白と思うしかない。というか実際に黒が白に見えてくる。みんなもう戻れなくて困ってる。自分も他人事でなく当事者なので困っちゃってる。
編:ところで西方さんの楽曲創作の源泉とは?
D:源泉はと聞かれると、ないです。「曲」を作ろう、「音楽」にしよう、という枠組みしかないのです。意識的にテーマなんか決めて曲を作ってみたいなとは思っているのですが。だからなのか、どの曲も似てきます。でも、最近はそれでいいんじゃないか?と開き直ってます。小説家で例えるなら村上春樹、漫画家で例えるなら古谷実みたいな。いつも同じセリフ、同じ展開、同じオチ。きっと自分もそういう傾向のアーティストなんだと思います。bronbaba時代は曲作りのテクニックも楽しくて実験というか色々と勉強をしている感覚もありました。でも今は毎回自分の中に深く潜るだけ。だから、いま作っている音楽の純度はとても高いと思います。時代に振り回されている感じもないし、作るもの、話すこと、すべての純度が高いと感じます。それが良いのかは別の話だけど。
編:純度が高い、わかる感じがします。この間のDRUGONDRAGONワンマンライヴでは新曲を披露されていましたが、いつにも増して没入感を感じました。
D:没入感は、まだまだ行けると思います。ライヴにおいては信じられないことができるという気がしていて。あんまり神秘的なことを言うのも憚られますけど、魔法を使える気がする。bronbaba全盛の頃とか、1stのアルバム(どっかの誰か誰かの何か)ツアー最後の方はいい線行ってたと思う。お笑いで言うところの緊張と緩和、に近いんでしょうか。「飛ぶ」という感覚になれますね。ただし、魔法と言ってもディズニーなんかと違って、閉鎖された空間じゃないと使えない。限定的な条件が重なった時に、集団催眠に近い状態になるって感じですかね。
編:ライヴ空間やリスナーのことを考えた音楽制作をされている感じがします。
D:そうですね、常にライヴを念頭において曲作りをしているので、気持ちいいポイントはどこかなと考えてます。特にDRUGONDRAGONになってからは、ライヴの反応を見てしょっちゅう曲のアプローチを変えています。小説家でもそういう作品作りをされている方が多いんじゃないでしょうか。最近、息子に絵本を音読することが多いんですが、言葉の中にメロディがちゃんとあって、ライヴを想定してあるなってよく思います。片や中学生がつくるような重い歌って、主張だけが強くてメロディが弱い。これは好みだけども、個人的にはメロディが強くて、本質がちょっと匂うくらいなのがすごく響きますね。ノンフィクションな歌詞の名曲もたくさんあるけど、俺は本質は隠しておきたい。bronbabaもDRUGONDRAGONも、幻想的でファンタジー傾向なのかもしれないですね。
編:今後の音楽活動の目標やゴールは?
D:決めてないです。自分でもバカだなあと思いつつ、以前のインタビューで言った「音楽は呪い」っていう言葉はその通りかもしれない。息子にもいつも言われるんですよ、「お父ちゃん、音楽やらないで」って。bronbabaからソロへ移行する時も、新しい音楽をやるという感覚じゃなくて、やめられなかったというのが正しいと思います。だから、音楽活動をしているとも思っていない。だから、終わりもない。
編:西方さんにとって「自由」とは何ですか?
D:うーん、ロックやってるから自由は永遠のテーマなのかもしれないけど、難しいですね。学生の頃は不自由だったから学校をやめたのかなあ。でも、大前提として、自由っていいものでもないと思う。自由に振る舞っているようで、自由な気分を味わわされているというか、自分がこれだと思う自由を自由に探さなきゃいけない、というか。結果「自由」という概念に縛られているんじゃないかという堂々巡り。自由があろうが、不自由であろうが、なるようにしかならないから、身構えることも、抗うこともしないかな。そういう心境って「自由」というより「フリー」と呼んだ方がいいのかもしれないですね。
編:最後に、FREEZINE読者へのメッセージをお願いします。
D:同じ石ころに価値をつけて売ってる仲間として頑張ろ。
こだわりのVANSは、同色のモデルを複数所有。トップスもグレーか紺の無地を複数ストックする。
起床後から仕事が終わるまで、ブラックコーヒーが手放せない。
16歳からずっと使い続けているカラビナのキーホルダー。
ところどころに書き込みをしながら常に手元においている愛著「反哲学入門」。
ミュージシャン
西方龍(ex.bronbaba)によるソロプロジェクト。アナログ&デジタル機材から繰り出される音楽はロックとも言えないし踊れもしなければ歌い始めるのでみんな困惑している。
本人は真面目に『児童歌謡』を製作しているつもり。
唯一無二、一人オルタナティブ電子歌謡。
DRUGONDRAGON、⻄⽅⿓。
彼との出会いはイベントでの対バンだった。
彼を知る人から龍はすげー生意気だからmizuirono_inuとはトラブるかもよ。。と事前情報があったのを覚えてる。笑
西方龍は「bronbaba」というバンドをやっていてカリスマだったらしいと聞いたが僕は面倒なので音源を聴かなかった。
その状態でどんなもんじゃいとライブを見た。
自分が諦めた事、妥協して捨てた事。彼はそのすべてを体現していた。
ライブを見てると自分の甘さに居た堪れなくなった。
音だけかっこいいアーティストなんてわりといるが彼はそれを自分にも課していた。
並大抵ではない意志故の孤独がなければ成立しないであろう自分の全身を使った表現と音。
だが彼にはどこか他人を諦めてない優しさがあった。そんな気がする。スーパー不器用だけど。笑
僕は一発で惚れ込んでしまい声をかけた。
それが彼との出会いだ。
当インタビューはDRUGONDRAGON、⻄⽅⿓のインタビュー史上一番素直な言葉で語ってくれたのではと自負がある。
「27歳」の呪いを超えた先でもがいて生きてる同志たちよ、カリスマは健在で、更新し続けている。
僕たちも頑張ろうぜ(^^)
最後に。
以前飲んだ時に彼が言っていたパンチラインを紹介しよう。
「カッコいいヤツってのはカッコ悪い事をやらないヤツ」
生きているといろんな選択を迫られるが、その場面場面で自分の思う「カッコいい」を選択をし続ける事だと僕は解釈した。
「カッコ悪い」選択をする前に、この言葉を思い出したいと思う。
ではでは!