PEOPLE
2021.05.11
バイドク インタビュー【現場主義インタビュー #0001】
企画・責任編集:Ape 写真:miNami 題字:ケーゴバイドク
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2021.05.11
企画・責任編集:Ape 写真:miNami 題字:ケーゴバイドク
東京の片隅の小さなライヴハウスでは、毎日人知れず伝説の夜が誕生している。
FREEZINE運営メンバーにして現役バンドマンのApeが、現場で出会って感銘を受けたバンド、アーティストをどのメディアよりも早く取り上げ、掘り下げていくのがこの「現場主義インタビュー」。真実はテレビの中にもスマホの中にもなく、いつだって現場にある。This is これが現場主義!
FREEZINE運営メンバーのApeです。
ライヴハウスで活動している、自分の大好きなバンドやアーティストをひたすら紹介する企画をFREEZINEでやりたいと自ら申し出て、他運営メンバーの力を借りながら、なんとかこうして「現場主義インタビュー」の初回記事公開まで漕ぎ着けることが出来ました。
その記念すべき第1弾として、私がサポートベーシストとして共にライヴ活動をさせてもらっていて、でもそれとは全く関係なく単純にリスナーとしても愛している「バイドク」へのインタビューを敢行しました。20年以上の活動歴を誇るバイドクにとって、実は今回が初めてのインタビューということなので、結成の経緯やバンド名の由来など基本的な情報についても余すところなくたっぷり訊いていこうと思います!
写真左から:
バイドク佐藤(Vocal & Guitar)
ケーゴバイドク(Drums)
Ape(インタビュアー & サポートBass)
Ape:改まってこういうのはちょっと気恥ずかしいですけど、今日はよろしくお願いします!早速ですが、まずはバンド結成の経緯を教えてください。
バイドク佐藤(以下、佐藤):2000年、私が19歳の時に大学の軽音サークルで結成しました。5月に新入生ライヴがあって、自分はラモーンズのコピバンをやったんですけど、それを観た本田くん(ex. Little Red)がなんかやろうよって誘ってくれてスタジオに入りました。そこで「パイパニック」が出来上がって、9月の合宿でバンドとして初ライヴをしました。その時、既に今でもやってる「バイドクのテーマ」や「チェリーの唄」、「(We’re) The 童貞クラブ」なんかをやってました。サークルの女の子にフラれてたんですけど、最後の曲のバイドクのテーマでその子と一緒に買いに行ったギターにわざわざ持ちかえて、ぶん投げてました。
Ape:なるほど(笑)ちなみにその初ライヴの時からもうバイドクって名前だったんですか?
佐藤:うーん、バイドクはバイドクだったけど、漢字表記で梅毒だったりスピロヘーターズって英語だったり、あんまり統一しておらず、カタカナ表記に定まったのはもう少し後です。
Ape:そもそもバイドク(梅毒)という名前にしようと思った理由は?
佐藤:女の子に全くモテず童貞だったので、当時流行っていたGLAYとか、それにキャーキャー言う女とかが大嫌いで、そいつらになんとか嫌がらせをしようと思って、毒気があってハードでカッコよくてインパクトのあるバンド名は?と考えて付けました。童貞なのに梅毒っていうのも皮肉でいいなと思いました。
Ape:ケーゴさんがバンドに加入したのはいつですか?
ケーゴバイドク(以下、ケーゴ):バイドクに加入して何年経つのかも分からないのですが(笑)多分10年ぐらい前。当時組んでた3ピースガレージバンドが解散して、3年ほどバンドもドラムもやらなかった時期があるんです。それこそライヴハウスにもあまり行かなくなって。そんな時に知り合いのドラマーがバイドクのサポートをやることになって、ライヴは何度か観たことがあったんです。その時は、しょーもないバンドだなーって軽蔑の眼差しで観てました(笑)
Ape:僕も昔はバイドクのことを軽蔑の眼差しで観てました(笑)
ケーゴ:そのバンドをやっていなかった3年間は、実は人生最初で最後の正社員として働いていたんですが、心身共に病んで鬱っぽくなっちゃったんです。そんな中バイドクのサポートでやってた奴が正式メンバーになり、何年かの活動後ベースもドラムも抜けたんですよ。その後バイドクはベースとドラムをサポートのまま活動を続けていて、何度か話したことあった?あったかな~?(笑)俺にもサポートの依頼がきたんです。で、ちょっと嫌だったんですけど(笑)その頃人生に何の楽しみもなかった自分の救いになるかと思ってオファーを受けたんです。で、気づいたらメンバーとして10年ほどバイドクしてます(笑)
Ape:サポートメンバーから正式メンバーへはどういった流れでなったんですか?
ケーゴ:簡単な話で、何度かサポートでライヴをやらせてもらってるうちに、やっぱりバンドいいなって。自分が加入する以前は、バイドクで脱ぐのは佐藤だけで、サポートし始めの頃は自分は服着てました(笑)そのうちMC中に上を脱ぎ、一曲終わって下を脱ぎと、気づいたら俺も全裸になってて。で、人前で脱ぐことに味を占め、自分から加入の旨を伝えたんです(笑)そのあと二人で飲みに行って、佐藤から改めてお願いしますって感じで決まりました。ちなみに俺が加入してのバイドクは4期目です。
Ape:初ライヴの時点で既に今でもライヴで演奏している楽曲が何曲もあったようですが、最初から方向性がバシッと定まっていたのは何故ですか?何かしらの影響を受けてそうなったりとか?
佐藤:うーん、なんでしょうねえ。方向性が変わっていないというか、進歩がないとも言えますね。「ちんぽ出して進歩せず」というやつです。
Ape:(笑)
佐藤:もうちょっと真面目に言うと、パンクロックを聴いて音楽を始めたので、その通りにやってるだけの話ですよ。やりたいようにやるってだけ。
Ape:音楽性は確かに正統派なパンクロックですよね。ただ、その上に乗っかる歌詞とか楽曲タイトル、あとパフォーマンスが下ネタ全開なのは何故でしょう?あそこまで徹底されていると何か強いこだわりのようなものを感じるのですが。
佐藤:それはですね、当時女にモテてたバンドの、愛だの友情だのの薄っぺらい歌が大嫌いだった訳ですよ。GLAYとかね。どんだけGLAY嫌いなんでしょうかね。そういう奴らへの嫌がらせであのような歌詞とパフォーマンスになった訳です。童貞のうらみ、つらみ、ねたみ、そねみ、いやみ、ひがみ、やっかみと、セックスやりたいという強い想いからですね。馬鹿ですね。相当悔しかったんですね、モテないのが。
Ape:なるほど。そういった嫌がらせのようなネガティヴな感情を原動力にバンドが始まって、それから20年以上経っている訳ですけど、今でもその気持ちって変わらないんですか?それとも年齢を重ねて変化した部分はあるんでしょうか?
佐藤:まあ、もうセックスしちゃいましたけど、今でもその気持ちはありますよ。4歳でおちんちんをいじり始めて、29歳でセックスするまでの25年間ずっと悶々としていたんだから。相当根が深いですよ。そして今でもあんまりセックスできてないし。ってなんかこれ、4歳で~のくだりとかめっちゃキモくないですか?大丈夫ですか?
Ape:それ言い出したら他にも大丈夫じゃないこといっぱいありますけどね(笑)
Ape:ケーゴさんは、佐藤くんのその感覚って共感できますか?それともケーゴさんは全く違うモチベーションでバイドクをやってるんですか?
ケーゴ:全然共感できませんね(笑)佐藤には申し訳ないけど、自分はそれなりに女性とお付き合いしてそれなりのことしてきましたから(笑)バイドクに入ったのも先に話した理由のほかに、素直に曲が良かったからというのがあります。ストレートな下ネタの歌詞に、あまり好きな表現じゃないですが、キャッチーなメロディ。70年代パンクを踏襲した、いやパクってる?(笑)楽曲達。そして佐藤のパフォーマンス。何度かライヴを観ているうちに、おもしろかっこいいじゃんって。あと、自分のパフォーマンスで人が楽しんでいるのを見たり感じたりするのが凄く好きなんです。紐パンでドラム叩いてジャンプして、今やお約束の天井ぶら下がり、佐藤のノーハンド倒立、女子ステージ上げ等々。色んなことしてますけど、バイドクのライヴを観て楽しんでるみんなの顔を見たいだけなんです。ライヴで「セックスさせてくれー!!」って叫んでますが、別に出来なくていいんです(笑)
Ape:ちなみにケーゴさんはソロ名義でもパフォーマンスをしてますけど、あれはいつからやりだしたんですか?バイドクで脱ぐことに味を占めてからですか?
ケーゴ:ソロ、自分では「脱ぎ語り」と言っています(笑)実はソロ活動自体バイドクに出会う前からやってたんですよ。きっかけはガレージバンド時代、14~5年ほど前に西荻窪ターニングで当時のブッカーが弾き語りをメインとした「ロックアローン」というイヴェントを定期的に開催していたんですけど、それの別枠として、出演者20人程度、持ち時間10分なんでもありの「ロックアローンスペシャル」というイヴェントもあったんです。ターニングは当時のバンドでよく出演させてもらっていたので、その流れでそのイヴェントに出ないかと声を掛けられたんです。そこが始まりですね。その時はまだ全裸にはなってません。いや、なってたかも(笑)当時のバンドは3人モッズスーツを着てたんですけど、俺は上裸にネクタイ、MCも基本俺がメインでやってたんです。この頃から今のスタイルの大本があった訳ですね(笑)
Ape:なるほど。なるべくしてなった感じですね(笑)今挙がったような18禁の破天荒なパフォーマンスもバイドクの魅力のひとつだと思うんですが、これまでにそれで怒られたりとか、何らかのハプニングとかトラブルはありましたか?
佐藤:魅力というか、犯罪ですので。こうやっておもしろおかしく取り上げられるべきことではないのですが、ってマジメでしょ?でも今まであったので1番は、やっぱ警察呼ばれたことですね。あと代官山パンク日和のアジャさんは初対バンした時交番に駆け込んだとか。
Ape:警察を呼ばれた件は僕もよく憶えてますよ。自分のバンドVery Apeでバイドクと対バンさせてもらった日だったんで。あれはまだ僕がバイドクのサポートBassをやるよりも前の話ですね。イヴェントが終わって、出演者同士で中打ち的にフロアで飲んでる時に「バイドクというバンドが全裸になっていると通報がありました。」と警察が来て、皆で知らんぷりしているのに、思いっきり「バイドク」って書いてあるパスを付けた佐藤くんがその辺をウロウロ歩いていて、ケーゴさんに本気で頭を叩かれていたのがメチャクチャおもしろかったです(笑)
Ape:ところで佐藤くんは、ある時から体を鍛えるようになったと思いますが、それは何故でしょうか?
佐藤:なんでだろう。もともと格闘技とかブルース・リーとか好きでしたから、筋肉は好きなんですよ。多分、上裸で演奏するスタイルが確立したからですね。バンド初期の頃は前半は服を着てライヴすることもたくさんあったんですよ。今となっては考えられないですね。だってどんな服よりも私の筋肉の方がカッコいいのだから。
Ape:最近バイドクに出会った人は服を着ていた時代があったと聞いて驚くかも知れませんね。それでは最後になりますが、昨年末に乃木坂46等の映像作品も手掛ける頃安監督の撮影・編集による「勃起NOW」のMVを公開したりと、外に向けた発信もされてますが、バイドクして今後どうなりたいかという展望がもしあれば教えてください。
ケーゴ:やはりバイドクをもっと世に知らしめたいですね。でも佐藤も言ってましたが、我々のスタイルはただの犯罪ですので、やりたいことも何かと法という壁が立ち塞がります(笑)それでもとある企画で、2月にバイドク初の生配信ライヴを行いました。ポロリしそうな時や、もう完全に裸の時などはボカシを入れてもらいながら無事やり切れたので、今後配信に関してはその手法でやっていきたいですね。それと、2015年から始めたバイドクの夏フェスと称した自主企画「NAKED PUNK FESTIVAL」の野外公演をいつか実現したいです。これはね、かなり難しいですよ。というかほぼ無理ですね(笑)あとはもう体が動く限りバイドクをやっていきたいです。佐藤が死ぬか、飽きるか、自分の体が本当に動かなくならない限りは続けるつもりです。60歳でバイドクやってたら多分売れると思うんですよ(笑)今の日本で60歳で全裸のバンドっています?いないよね?その歳でバイドクやってる自分の姿を想像するだけでワクワクするんです。多分その時も今と同じ曲演ってますよ(笑)
Ape:佐藤くんはどうですか?
佐藤:売れまくって女とヤリまくれるようになりたいんですけど、それはものすごい努力が必要ですからね。今の楽しい感じで続けていって、自分のうたを好きになってくれる人がちょっとでも増えればいいなと思います。まあ楽しい感じっつってもライヴは超キツいんだからね!
乃木坂46や日向坂46等の映像作品を数多く手掛ける頃安祐良監督が撮影・編集を行った「勃起NOW」のミュージックビデオ
人力モザイクやリアルタイムボカシの挿入で無事やり切った生配信ライヴのアーカイブ映像
映画「プラトーン」にインスパイアされた、バイドクのライヴではお馴染みの「大陰唇ポーズ」
どんな服よりも自分の筋肉の方がカッコいいと豪語する佐藤所有の筋トレアイテム
佐藤が体型維持のために食べている平均的お昼ご飯。通称「おべんと」
佐藤の生誕イヴェントではプレゼントとして多数のTENGAやオカズが届いた
人前で脱ぐことに味を占めてしまったケーゴの現在のステージ衣装「紐パン」
ケーゴのステージ衣装その2「コテカ(ペニスケース)」
バイドク佐藤(Vocal & Guitar)、ケーゴバイドク(Drums)からなる、都内で暗躍中のネイキッドパンクバンド。