FEATURE

2021.09.21

コムギの人生の転機になった10の音楽

FREEZINEが選ぶ「人生の転機になった10の音楽」シリーズ。
第20弾は、mizuirono_inuメンバーにしてその他ユニットや個人でも幅広く活動するボーカリストのコムギ!

もしもその音楽と出会っていなければ、いまの自分はない。人は誰しもが、そんな人生の転機となった音楽を持っているもの。そこでこのコンテンツでは、各界のFREEZINEたちに、自分史上において転機となった10の音楽を選んでもらい、当時のエピソードと共に紹介していただきます。選ばれた音の並びから、人となりが見えてくる。

小松未歩『風がそよぐ場所』

はじめて人前で歌った曲。小学5年生、音楽の授業でした。
五線譜つきの黒板の前でワンコーラスだけの発表でしたが、先生から「お前、歌がうまかったんだなぁ」と、褒められたのが大変嬉しかったです。

勉強も運動も中の下、どの先生からも「もう少し頑張りましょう」と言われるタイプの小学生だったので、
確か後にも先にも、名指しで褒められたのはこの一回だけだったように思います。少ないな。

歌うことが楽しいとか気持ちがいいとか、単純だけど決定的な気持ちが芽生えたのは、もしかしたらあの日の授業のおかげだったのかも、とすこーしだけ思っています。

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ポルノグラフィティ『ロマンチスト・エゴイスト』

きっかけは忘れましたが、小学4年生くらいから拗らせ気味に好きだったのがポルノグラフィティ。
ロマンチスト・エゴイストは1stアルバムで、特に「デッサン♯1」という曲が好きでした。
人生初のライブはポルノ。席は一番後ろで、本人たちは豆粒ほどしか見えなかったけど、夢のような時間でした。

ポルノがきっかけで、初めて親友と呼べるような友達もできました。
私は中学で割としっかりとしたいじめを経験しているのですけれど、いじめが終わるきっかけを作ってくれたのは、彼女でした。
「ポルノが好き」という唯一の共通点があったおかげで、彼女のおかげで、中学時代を乗り越えることができました。

彼女は今、遠い場所にいますが、私がそちらへ行った時には、また一緒にポルノの話ができたらいいなぁと思っています。

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LeAnn Rimes『How Do I Live』

幼少期に1年間だけアメリカに住んでいたのですが、父が車中で流すラジオから聞こえてきて、大好きだったのがこの曲です。
他にもいろいろな洋楽を耳コピしては、妹とよく歌っていました。
幼少期は耳がいいといいますが多分本当にそうで、もちろん現在は全くもって英語が喋れませんが、ネイティブな発音だけ、実は今でも少し残っています。
これが後に、自分の音楽活動に大きな役割を果たしてくれることになるので、人生は面白いなぁと思います。

何事も経験だと言って日本語学校ではなく現地の学校に通わせてくれたお父さん、お母さん。
当時は学校に行くの嫌がって泣き喚いてごめんなさい。行ってよかった、ありがとう!

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加藤ミリヤ『M BEST』

私が一瞬だけ普通のキャンパスライフを過ごした時期によく聴いていたのが加藤ミリヤ。
ゆとりと呼ばれる私の世代の女性なら、一時期みんな聴いていたのでは?と思うのは私だけでしょうか。
「Aitai」の歌詞に共感したのは、私だけではないはずだ!

大学1年生、大好きだった男の子と友人と楽しく遊んでいたのに、新宿駅で喧嘩して彼が怒って帰ってしまい号泣。
友人が元気づけようと付き合ってくれたカラオケでも空気をぶち壊して泣きどおし。
そのまま朝まで泣きながら加藤ミリヤを歌い続け、心底うんざりされたのは遥か遠い昔のことです。

後日、その男の子にはきちんとフラれましたが、ここでもやはり加藤ミリヤの「悲しみブルー」でその心を癒したことは言うまでもありません。

若かった、確実に。でも楽しかったな。ミリヤ万歳!

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Little Non『ハナマル☆センセイション』

私が音楽をはじめるきっかけを生んだ曲。少し長くなります・・。

ミリヤ期が早々に過ぎ去り、紆余曲折を経てアニヲタガチ勢となった私はアニソンバーでアルバイトをはじめました。
アニソンを歌うお客さんを応援する応援団という設定で、アニメのコスプレ衣装を着て働いていました。
お客さんから要望があれば歌うこともありますし、CDを出したり、ライブをしたり、地下アイドルのような活動をさせていただいておりました。

そのバーの店長がこのLittle Nonというバンドのメンバーの方で、カバーで私がよく歌っていたのがこの曲でした。
この曲を歌うと、びっくりするほど盛り上がるし、嬉しかったし楽しかったんだけれど、実はなぜだかあんまり歌いたくなかった。
理由は簡単で、単純に自分が歌いたい曲ではなかったから(曲が嫌いとかじゃなくてね)です。

そんな時に、仲の良かったキャストの子に「たすたす(当時の意味不明な源氏名)はもっと違うやり方で音楽をやってみたら?」と言われたのをきっかけに、
ふと思い立ち、その日の夜にバンドメンバー募集サイトから、ボーカル募集を1件だけみつけて即応募。そして私は応援団からバンドマンへと転身しました。

バンドだったら、自分が歌いたい曲やれるのでは!?みたいな、そんな不明瞭な理由からのスタートでした。
今思えば、大変ふわっと音楽の世界に飛び込んで、結局そのまま二十代の全てを捧げてしまったの笑う。
でも案外、きっかけなんてそんなもんじゃない?って思っているんですけどね。違うかな。

ちなみにそのキャストの子とはとても仲良しで、当時とは180度違う世界で音楽を続けている私を、今でも応援してくれています。
ちゅぴちゃんいつもありがとう!

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Cocco『ザ・ベスト盤』

Coccoの、透明感の中にある、ゆるがない芯のようなものが見える歌声は、やはり唯一無二だと思っています。
そして何より、Cocco自身が作るメロディはどれも、彼女の声の、美しい箇所がこれでもかというほど詰まっています。

彼女のように、のびやかに、自分が一番美しく出せるメロディをうたいたい。
そんな想いから、鍵盤弾きのクロサキヒロミ氏と「ONE COIN SISTERS」というユニットを結成しました。

はじめて自分でメロディを作り、彼女の全面協力の下で曲をひとつ、完成させました。「エピソード」という曲です。
この曲が出来て以降、他の誰かが作った曲や歌詞であっても、どこかしらに自分らしさをちりばめて、気持ちよく歌う瞬間を少しずつ作れるようになっていった気がします。

とはいえ、理想と現実のギャップは必ずあって、自分で作ったメロディが難しすぎて発狂していることもしばしばあります。
付き合ってくれるヒロミ氏には、日々感謝です。

結論、Coccoはすごい。

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イツエ『言葉は嘘をつく』

はじめてイツエを聴いた時、ボーカルの瑞葵さんを見つけた時。
「うたうために生まれた人っているんだな」と思ったと同時に、自分がその類の人間ではないことに気づき、絶望しました。

絶望後は、瑞葵さんのうたい方やステージング、衣装まで何もかもを真似ることに夢中になりました。もうね、まるパクリです。
当時のバンドメンバーはドン引きでしたが、私は本気でした。本気で瑞葵さんになるつもりでした。
私も、うたうために生まれた人になりたかったからです。

結局、私は瑞葵さんと同じ人生を歩んでもいなければ、姿形、声、全てが違うので、当然、彼女と同じにはなれませんでした。
そのことに気づいた時、もう一度絶望は襲ってきたものの、結局諦めきれずモジモジしている昨今です。

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Sigur Rós『Hoppípolla』

私が当時加入していたバンドのSEとして使用していた曲です。この曲を聴くと、当時のことをいろいろと思い出します。
ライブ本番直前まで涙が止まらないとか、ライブハウスに入れないとか、わかりやすく病んだこともありました。
それでもこの曲がスタートしてしまえば、ステージには立ったし、歌うことも辞めませんでした。

音楽をやっていると、10のうち9は苦しいこと、悔しいこと。1は嬉しいこと。私はそれくらいの割合だな、と思っています。
9も嫌なことがあるので辞めたらいいじゃん、と言われがちですが、残りの1の絶頂度を知ってしまっているから、そう簡単にはいかないのですよ・・。

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湯野川 広美(ジン)『剣姫』

彼女がジンというバンドのボーカルであることは以前から知っていましたが、バンドが活動休止していること、
活動休止後はアコギ1本で全国を飛び回り、ソロで歌っていることは、対バンしてはじめて知りました。

彼女の歌声を聴いて衝撃を受けました。どんな言い訳も許さない、真っすぐすぎる歌声でした。
立ち止まれる理由はいくつもあったはずなのに、それをひとつずつ捨てて、彼女はひとりでステージに立っているのだと思いました。

ライブ終了後、誰よりも早く楽屋に行って、ライブ直後の彼女に思いの丈をぶつけました。(超迷惑)
彼女が言ってくれたことは今でも忘れていませんし、彼女の考え方や生き様を、今でも本当に尊敬しています。

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mizuirono_inu『Natural Beauty Skin Care』

出会ったのは27歳とかそれくらいでしたでしょうか。紛れもなく自分の人生の転機となった音楽、バンドです。

初めて彼らのライブを観た時のことは今でも鮮明に覚えています。
いつでも誰かを、何かを気にしてコソコソと音楽をやっていた私には、あまりにも彼らが眩しく、神々しくみえました。
狭いライブハウスで爆音に揉まれながら、意識がどこか別の場所へ飛んでいってしまいそうな感覚。
「このバンドに出会えた私って最高かもしれない」と勝手に湧き上がってくる謎の自信。
はじめて触れる音楽だったし、何よりも「バンドってこういうことなんだ」を体現した、そんな30分間を見せつけられました。

それから暫くしてなんやかんやありつつ私はmizuirono_inuに加入することになりますが、これがまた・・好きなだけじゃどうにもなりません。
途方に暮れた私に「とりあえず好きにやってみてよ」とだけ言った彼らを、末代まで祟ってやると思いながら、なんとか食らいついている昨今です。

そして現在もなお、持ち前の執念深さで何とか食らいついておりますが、お蔭様でいろんな景色を見せてもらうことに成功しています。やったぜ!

そのあたりの話をしはじめると長くなるのでここまで。聞きたい方がもしもいらっしゃいましたら、お気軽にお声がけ下さいませ。

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改めて「人生の転機になった10の音楽」を選んでみて。

このお話をいただいた時、私は音楽について10も語ることなどできない、としりごみしてしまいました。
しかし、今回は「好きな音楽」ではなく、「人生の転機になった音楽」。
となれば、私にも何かしらあるかしら、と僭越ながら憧れのFREEZINE様のコラムに初参加させていただく運びとなりました。

つい先ほど気づいたのですが、私は音楽の世界に足を踏み入れて、今年でちょうど10年になることがわかりました。
あまり振り返ることがなかった自分の人生を、このタイミングで振り返る機会をいただけたこと、感謝致します。

私は、音楽が好きというよりは、歌うという行為が好きでここまで音楽を続けてきているタイプなので、
好きな音楽、影響を受けたアーティストなど、自身のルーツのようなものを聞かれるのがとても苦手です。
正直に申し上げますと、自分でもよくわからないです。本当に。

それでも自分が挙げた「人生の転機になった10の音楽」をみてみると、
人並みに音楽に影響され、感化され、感動し、興奮し、ここまで生きてきたのだなぁと思いました。

私は、音楽も結構好きだったのですね。よかった。

・・・以上です(笑)
最後までお付き合いくださった方々、ありがとうございました。

PROFILE

コムギ/うたミン/shully

ボーカリスト。

「何もできないから何でもやる」をモットーに、3つの名前を駆使して音楽活動中。

■mizuirono_inu/コムギ(chorus)
命名者はmizuirono_inuマスターsashi。

■ONE COIN SISTERS/うたミン(vocal)
命名者は自身と鍵盤弾きクロサキヒロミ。

■個人活動名義/shully(vocal&lyric)
命名者は父。