COLUMN
2020.04.07
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2020.04.07
こんにちは、凹(kubo)です。
フリーランスのイラストレーターです。
最近他の方のコラムもどんどん増えてきて、賑わってきました、FREEZINE。
すごすぎる方に囲まれて、光栄すぎて身がすくみますね。
さて、他の皆様のコラムを読んでいて、気づいたことがあります。
どうやら「汎用的な意見や考察を書いたコラムより、自分自身のことを書いたコラムの方が、おもしろいぞ」ということ。
もちろん前者の方がおもしろいシーンも存在しますが、このFREEZINEでは、多種多様なクリエイターが集まる媒体色上、彼ら自身にフォーカスした記事が本当におもしろい。
私自身は、そんなに面白い歩みをしてきた人間ではないのですが…いちど、形だけでも見習ってみようと思います。
私の父は車の技術研究者、母は薬剤師。
芸術とはあまり縁のない家庭でした。
しかし、代をさかのぼると、祖父は陶芸家、曾祖父は画家。
小さいころ、一心不乱に絵を描いていると、「ひいおじいちゃんの隔世遺伝」だね、と母によく言われたものです。
曾祖父は私が物心つく前に他界したためほとんど知らないのですが、祖父が陶芸をする姿は記憶にしっかりと残っています。
なにかのエンジンをリサイクルして作った手製のろくろで、粘土の塊をつるつると器に変える手元に、時を忘れて見入ったものです。
(祖父はどうやら、私にも陶芸に触れてほしかったらしいのですが、わたしが立体物の造形にまるで才能がなく、早々に諦められたようです笑)
祖父の陶芸はあくまで趣味の範疇でしたが、地元の新聞にも取り上げられたりと、ちょっとした有名人だったとか。
身内のことをこんなに持ち上げるのもどうかと言う感じですが、祖父は幼い私から見ても「なんだかすごい人」でした。
陶芸の上手さはもちろんのこと、先に書いたようにエンジンからろくろを自作したりと電気工作も得意。
父の話では大工仕事もうまく、鉋(カンナ)を使わせたら大工顔負けだったと言います。(そういえば工房小屋も自作だったような…)
そして、父や叔父と酒を挟んで真剣な話をしていたかと思えば、幼い私がキャッキャと大笑いするような易しくおもしろい話もできる。
私はよく、自分の事を「どんなものでもそれなりにこなすが、それなりにしかこなせない器用貧乏」と自虐しますが、それで言うと祖父は「器用長者」だったと思います。
でも、そんな祖父がある日ひとことこぼした言葉を、私は今でも覚えています。
ろくろの前に座って、小さな窓から西日を受けながら、釉薬を塗る前の水差しを見下ろして、彼はぽつんと言いました。
「おれの作るものは、つまらないなあ」と。
聞いた当時はわかりませんでしたが、今なら祖父の言葉の意味がわかるような気がします。
祖父の作品群は本当に精緻で、一寸の狂いもない、まるで機械で作ったような造形でした。
あれらは「作品」というより「製品」に近かったのかもしれません。
人の手で、機械のような正確さを出せるのは物凄いことなのですが、じゃあそれに対しての需要は? 意義は? と考えてしまうと…。
機械でできるなら機械製でいいじゃん、となってしまう。まことに難しい問題です。
そもそもそんな境地に行ける人なんてほとんどいないのだし、過ぎた悩みだというのは重々承知ですが、祖父の言葉がひっかかって、今でも時々考えます。
うまくなりすぎたら、いけないのでしょうか?
ある程度の水準を超えた技術は、芸術にとっては「邪魔」になってしまうのでしょうか?
でも、だからと言って技術を磨く努力をやめるのは「なんだか違う」と私は思うのです。
長らく心の奥底でくすぶっていたこの疑問ですが、つい最近、目から鱗が落ちるような記事と出会ったので、ぜひ紹介させてください。
私が大好きなゲームのひとつ「NieR:Automata」のキャラクターモデラー、松平仁さんのコラムです。
http://blog.jp.square-enix.com/nier/2017/05/30/nierautomata_5.html
以下引用です。
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モデルには少しいびつな部分などをわからないバランスで入れています。
どこかは言いませんが、少し毒が入っていた方が美しく見えます。
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キャラクターポリゴンはコンピューター(=機械)で作るのですから、正確に整ったものになるのは当然のことです。
しかしこの方はあえてそこに、最後の仕上げとして崩しを入れているんですね。なるほど…!
「どこかは言いませんが」で済まされてしまいましたが…どこに毒が入っているのか詳しく聞きたくて仕方ありません。
もし祖父がこの境地にたどり着いていたなら、もしかしたらとんでもない化け方をしていたのでは? と思ってしまいます。
ちなみに「NieR:Automata」はキャラクターモデルの美しさもさることながら、廃墟都市の中を縦横無尽に駆けられる爽快さがとても楽しいので、アクションRPGに抵抗のない方はぜひぜひプレイしてみて欲しい作品です。
(「抵抗のない方」と書いたのは、「好きな方」ならきっとチェック済だろう、と思ったからです)
ストーリーの展開は陰鬱で、ショッキングなシーンもありますが、それでもふとした時にまた入り浸りたくなる世界です。
今回のお話の主役だった私の祖父ですが、数年前に他界しています。
数年早く祖母も亡くなっていたため、祖父の他界と同時に、彼の家は無人となりました。
片付けが始まる前に一度だけひとりで訪れたことがあるのですが、その時の感情が、今までに感じたどれとも似ていませんでした。
人の生活していた跡がそっくりそのまま残り、人だけがそっと消えてしまった家。
そのおそろしいほどの寂寥感が、今でも言葉では表しきれません。
その時のことを思い出しながら描いたのが、以前のコラムの扉絵になった上の絵です。
もしかしたら今後末永く、私が取り組むテーマになるのかもしれないな、と思いながら描きました。
よく描き、たまに書くイラストレーター。
仄暗くて寂しげなタッチの絵が得意ですが、本人はとても能天気です。
絵を描くお仕事があればぜひご連絡ください。
◆Mail
kubo.ekaki★gmail.com(★→@)