COLUMN

2019.04.16

「よく描き、たまに書く」by kubo 第6回/「何も生み出せない日」も愛する

こんにちは、凹(kubo)です。
フリーランスのイラストレーターです。

この記事…というか、このサイトをご覧になっている方は、きっとご自分で何かモノを作る方が多いのだと思っています。
絵や音楽、文章…サイトのカラー的には音楽が一番多いのでしょうか。

毎日作ってますか?

他のジャンルの事は分からないのですが、こと「絵」においては、よく「毎日描いたほうがいい」と言われます。
コツコツと上達していくものだというのももちろんそうですし、会話などと同じで、一日離れているだけですぐ鈍るものだと言われているからです。
確かに私も、しばらく他の仕事に追われたりなどして絵を描けない期間が続くと、その後また描き始めた時にリハビリが大変です。

でも、時に思うのは、この「毎日描いたほうがいい」に呪われて苦しんでいる絵描きがずいぶん多いような気がするのです。
私自身も含めて。

「毎日」の呪い

「一日一枚必ず描く」「毎日模写する」
絵の上達に向けて頑張っている人がよく掲げている目標です。
でもこれ、正直なところ、ずっと続けられている人をほとんど見かけたことがありません。
そして私自身も、そういった目標を過去に何度かたてて、完遂できた試しがありません。

毎日って、実は本当にたいへんなことなのです。

「一日一枚」は、いずれ「一週間に三枚」になり、やがて「できる時にやる」に変わる。
そして「できる時」というふんわりしたプレッシャーに背を向け続けて、結果ほとんど描かなくなる。
酷いパターンですと「こんなことも実践できない私は、きっと絵への愛が足りないんだ。向いていない」と、早々に筆を折ってしまう人さえいます。
(その酷いパターンの典型が、過去の私なのですが)

創作は「作ること」だけではない

絵を描けない日が精神的ダメージになるのは、「今日は絵に触れなかった」と感じるからです。
でも、最近思うのですが、ペンを持たなかった日だって、絵に触れなかったわけではないのではないでしょうか。

今日は他の人の作品を眺めて刺激を受ける日だったのかもしれません。
外へ出かけてたくさんの情報をインプットする日だったのかもしれません。
本当に何もしなかったというならば、頭を空っぽにしてまたたくさんの情報を仕入れる準備をしたのでしょう。
一日一枚描かなくったって、毎日模写しなくたって、私はきちんと絵を習得していたのです。

モノづくりはモノを生み出すことだけではありません。
インプットなしにひたすらモノを作り続けることができる人は、いないとは言い切れませんが、非常に稀です。
考え方を変えれば、「自分をモノづくりの場に置き続けること」は、実はびっくりするくらい簡単だったのです。

アウトプットできない不安とうまく付き合う

現代はネットで気軽に作品を共有できます。
SNSやホームページなどに作品をアップしてファンを得て、広告効果や自信につなげている方も多いでしょう。
それは素晴らしいことですが、ともすると「いい作品をコンスタントに生み出し続けなくては」というプレッシャーがつきまといます。
それが「毎日やる」の呪いと合わさって重責になり、心を壊すクリエイターもまた多いです。

これに関しては、ファンの数や反応といった、自分自身では完結できない要素が関わってくるので、なかなかままなりませんね。
「完成した作品の共有」という形以外に、創作に関わりつつも比較的省エネルギーでファンとコミュニケーションをとれる手段を見つけることで、心の平穏が少しは保ちやすいのかもしれません。
他人の反応に一喜一憂しない、というのが、一番いいのでしょうけれど。

モノづくりって楽しいですから。
生みの苦しみ以外の、本当は忘れてもいい苦しみは、なるべく忘れてのびのびと作っていきたいですよね。

…毎度のことながら、この記事は自分に言い聞かせるのが目的の半分です。
ゲームが楽しくて絵に手が回らない。そんな期間があっても、いいよね?

PROFILE

凹(kubo)

よく描き、たまに書くイラストレーター。
仄暗くて寂しげなタッチの絵が得意ですが、本人はとても能天気です。
絵を描くお仕事があればぜひご連絡ください。

◆Mail
kubo.ekaki★gmail.com(★→@)