COLUMN

2020.01.07

「よく描き、たまに書く」by kubo 第15回/子どもと大人の隙間

こんにちは、凹(kubo)です。
フリーランスのイラストレーターです。

しばらく「便利なツールの話」が続きました。
新しい道具を試すのがわりと好きなタイプで、まだまだ紹介したいソフトがあるのですが、あまり同じテーマが続いてもな、と思ったので、今回は違う話を。

尊敬するクリエイターの話

絵を描く人、音楽を作る人、文章を書く人。
ものづくりをする人達は、誰しも「尊敬する、好きな作り手」がいると思います。

私にも好きな絵描きがたくさんいます。
最近はSNSでフォローすることで、気軽な落書き(Doodle)や普段の生活なんかも垣間見ることができるので、ファンとしては嬉しい限りです。

ところで、私の憧れる絵描きたちには、ある共通点があります。

生きるのが大変そう

SNS。
特にTwitterを始めとする、日常の些細なことを共有できるツールでフォローしていると、彼らの心の動きがホームフィードに流れ込んできます。

それらを読んでいて、ある日気づきました。
私の尊敬する絵描きは、そのほとんどがひどくナイーブで、日常に大きな鬱屈を抱えていることに。

彼らは時に、家族など身近な人との関係がいびつだったり、世の中で「当たり前」とされていることが腑に落ちず苦心していたりします。
ちょっとした出来事でひどく傷ついて、何日も無言になったりもします。
そうかと思えば、逆にちょっとした、ほとんどの人が気に留めないようなことでものすごく感動して、饒舌になる瞬間もあります。

ずいぶん…言葉を選ばずに言うならば、「生き辛そう」なのです。

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大人になることは、鈍くなること

感情を揺さぶられるのは、とても疲れることです。
だから、大人になると、大抵の人は鈍感になります。

周りと上手く折り合えるように、「譲れないこと」が減り、「なんでもいいこと、どうでもいいこと」が増えます。
得られなかった時に悲しくならないように、「好きなこと」が減り、「興味のないこと」が増えます。
皮膚が厚くなってケガをしにくくなるように、心の皮も厚くなるのです。
そうすることで、穏やかに生きられるようになります。
しかし同時に、クリエイティブの源泉である「感動」から遠ざかります。

クリエイティブを仕事にする難しさは、もしかしたらすべてそこに集約されるのではないでしょうか。
子どものようなやわな感性と、大人としての要領・常識をあわせ持たなくてはならない。
それはとても難しく、ほとんどの人はどちらかにウェイトが寄ることになるでしょう。

多分、私は、そういう意味では大人になり過ぎました。

やわであること

でも、私にも確かにあったのです。
周りから受ける精神的な刺激のすべてが針のように痛かったり、涙が出るほど眩しかったり、どうしても自分では制御できない「好き」や「嫌い」があって周囲と折り合うのに苦労した日々が。
「これが私なんだから仕方ない」と開き直ることもできず、理想と現実の間で苦しんで毎日泣きじゃくっていた日々があったのです。
そして、その頃にひり出していた作品は、粗削りながら、私が今まで作ってきた作品の中で一番輝いていたような記憶があります。

私はもうきっとその頃には戻れません。
もし仮に「戻ろうと思えば戻れる」道があったとして、あの時の苦しさを思い出すと、戻る一歩を踏み出せないと思います。

だからこそ憧れるのかもしれませんね。

PROFILE

凹(kubo)

よく描き、たまに書くイラストレーター。
仄暗くて寂しげなタッチの絵が得意ですが、本人はとても能天気です。
絵を描くお仕事があればぜひご連絡ください。

◆Mail
kubo.ekaki★gmail.com(★→@)

◆Pixiv (当コラム掲載イラストを原寸サイズでアップしています)

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