COLUMN
2021.04.27
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2021.04.27
前回のコラムから随分と間が空いてしまいましたが、今回私がブラジルに修行をしに行くまでのお話を書かせてもらいます。
私がブラジルに行きたいと思うようになったのがブラジルの師範との交流がきっかけでした。
Capoeiraも空手や柔道のように帯があります。毎年一回昇段式があるのですが、その昇段式にブラジルから師範をお呼びして帯を貰います。ブラジルの師範は昇段式まで約3週間ほど日本に滞在するのですが、滞在中はレッスンをしてくれたり、交流を兼ねて一緒に観光したりなんかします。
毎年この3週間ほどの期間は私にとって刺激に満ち溢れまくっていました。
小学生の私にはブラジルの文化を日本で教わるというだけでも刺激はたくさんありましたが、本場の先生が教えてくれるということはより刺激が多く、日本にいるはずなのにそうではないような感覚を感じることができるのがすごく新鮮でワクワクしたのを覚えています。
日本でさえ刺激がたくさんあるのに、ブラジルまで行ったら一体何があるんだろうかと私のブラジルへ行く夢はどんどん膨らむばかりでした。
そして小学6年生。もうすぐ卒業が迫る冬でした。
父が「来月からブラジルに行くからビザとパスポートとってこい」と言ってきまして。突然ブラジル行きが決まったのでした。笑
父は昔から様々なことに思い切りがすぎる人でしたが、この時の思い切りばかりは感謝しました。ありがとう父ちゃん。
ブラジル行くからってことは父か、家族が誰かしら一緒に行ってくれるもんだと私は思っていたのですが...蓋を開けてみたら、ブラジル行きのチケットは一枚。小学6年生の私はブラジル一人旅が突然決まったかと思い、恐ろしくて行くのやめたくなりました。が!!
同じ時期にブラジルに修行に行く、お世話になっていたSさんという方が同行してくれることになり一安心。ほっとしました。笑
でも今思えば、小学6年生スーパーガキンチョな上に、スーパー悪ガキ...。
そんな私と一緒にブラジルまで行くだなんてとっても大変なことなのに、一緒に行ってくれたこととても感謝しています...。Sさんありがとうございます...。
ブラジル出発は1月、滞在は約1ヶ月半、卒業式は3月。残り小学校で残す思い出なんてねぇ!!!ってことで、私は小学校残りの生活を捨て、ブラジルに行きます。笑
次回、ようやくブラジルに入国するお話までかけるかなと思いますので、よかったらまた読んでください。それでは!
1996年10月13日生まれ
オルタナティブ和太鼓バンド《あみだあくび》のVocal.
バンド活動以外はバンドのライブ撮影のお手伝いなどなど。
たまにデザインのお仕事もお手伝いしている。
2020年からFREEZINEのスタッフとして加入。