COLUMN

2023.07.04

「miNamiの車窓から」 by miNami 第9回/【VOICE for FUTABA】人の縁は円になる

毎度お久しぶりです。
FREEZINE運営メンバーのmiNamiです。
今回は前回のベースとは全く関係ないお話ですが、コラムの場を借りて少しお話しさせてください。
 
コロナが流行り始めてから音楽活動をほとんどしてなかった私なんですけれども、今年に入ってから久しぶりに音楽活動らしい活動といいますか、ちゃんと歌う機会を頂いてありがたい経験をしました。

今回私は2011年に東北大震災で被災をした福島県双葉町の心の復興プロジェクト「VOICE for FUTABA」に携わらせていただきました。

「VOICE for FUTABA」

〜福島県双葉町の心の復興プロジェクト〜

2011年に東北大震災による原発事故で町民全員に避難指示の出た双葉町。

そんな双葉町の再出発・発展を目的として双葉町のご出身である髙崎丈さん(たかさき じょう さん)という方を中心に【Kibikitaki Project】が2021年から始動されました。

【Kibitaki ProjectI】

Kibitaki Projectでは双葉町の再出発、発展のために様々なプロジェクトを展開されております。

その中の一つのプロジェクトが今回携わらせて頂いた

【VOICE for FUTABA】

当時(2021年10月)双葉町一部地域の避難解除に向け復興が進む中で、経済的な復興のためのプロジェクトではなく、

震災のこと、そして震災後における町民の方々が考える、今だから言える事やそして将来の町への想い。

それらを対談をとおして形にすることで記事化し、発信していく。

こうしてできたプロジェクトが「Voice for Futaba」でした。
 
そして今回私はこのVOICE for FUTABAのテーマソングを作詞、作曲をさせて頂き、歌も私が歌わせていただきました。誰かのために曲を書き歌うということは私の人生で初めての出来事でした。

歌を作るのに実際に双葉町へ行き、現在の双葉町の空気や私の目に映った双葉町、VOICE for FUTABAでお話をされていた方々の想い、私の中で感じ取れた想いを私の言葉で書くことにとても責任を感じました。

でも私のできる限りの想いで作り、歌わせてもらいました。

Kibitaki ProjectのYoutubeにて、双葉町の映像共に曲を公開していただきましたのでぜひご視聴ください。
 

〜なぜこのプロジェクトに携わったのか〜

ここまで読まれた皆さん、なんで私が携わっているんだろうと思われた方もいらっしゃるかと思います。
 
ご存知の方もいらっしゃいますが、
〜新宿生まれ新宿育ち〜と声を大にしてFREEZINEや各方面で都会っ子ぶりまくっております。

家族や親戚、生まれが福島であったり、双葉町というわけでありません。

Kibitaki Projectのメンバーのお一人、島野 賢哉(しまの けんや)さんがSamba Reggae(ブラジルのパーカッション)を教えてくださっている先生なのです。
 
※以前の記事にSamba Reggaeについてちょっと書いてますのでよろしければご覧ください↓

(「miNamiの車窓から」 by miNami 第6回/ブラジルの音楽も熱かった)

私が中学生の頃から教えてくださっており、Smba Reggaeから離れてバンド活動をしてみたり、なんかまた違うことしていてもいつも気にかけてくださり...
 
そんなわけで今回も私に声をかけてくださりました。

しかしお話を頂いた時は正直とても複雑な気持ちになりました。

震災当時私は中学2年生で被災地の様子がテレビで流れ続けるの見ていたり、実際に自分の家族が被災地へ救援しに行ったこともあり、大きな被害を受けた地域に自分がいたわけではありませんでしたが、自分の身近に起きたように感じるとても大きな出来事でした。
もちろん私以外にもそう感じていた方もいらっしゃると思います。

そして12年経った今、まさか自分が被災地のために歌うということが起きるとは思ってもおらず。
とても大事な役割をもらったという気持ちとは別に、私が歌っていいのだろうかという気持ちになりました。

正直なお話をすると双葉町という町が被災をしたことは記憶にはあったのですが、今回のお話をもらうことがなければ記憶の片隅に隠れてしまうような程しか覚えていませんでした。
 
現在被災をしてからまだ立ち入り禁止区域がある状況だったり、また当時双葉町に住まわれていた方々が地方へ避難されてそこでの生活がようやく落ち着き始めたことで双葉町に戻って来られない状況があることを私は知りませんでした。

そういったわけで双葉町のことをほとんど知らない私が歌を作っていいものなのかと悩みました。

そして悩んだ結果思ったことがありました。

『もし今回誘って頂いてなかったら私は双葉町のことを忘れたままこの先過ごして、何も知らないままで日々を過ごしてしまうんだろうな。』

私には歌えません、と言ってしまったらおそらくこの先双葉町に関わることは無くなってしまう未来がなんとなく見えました。
そう思ってしまったら心が苦しくなりました。

私は福島の生まれでもなければ、家族や大事な人がが双葉町にいたわけでもないです。
当時の震災で中学2年生だった私は、たくさんの人が悲しい思いをしたこと、辛い思いをしたことに対してテレビで見ていることしかできなかったし、どうか少しでも多くの人が助かりますようにと祈ることしかできませんでした。

でも今回歌を作らないかと誘って頂いたことで、歌う形で被災地に関わることができる。見ているだけ、祈ることしかできなかった子供の頃とは違って少しだけでも双葉町の未来のために自分ができることはやりたいと思い、歌わせて頂くことにしました。

歌うことが決まってからなんとなく身近な先輩や友達に福島県の双葉町知ってますか?と聞くと、おばあちゃんが住んでいた、実は地元だった、福島出身で隣町だった、私が知らなかっただけで身近な人たちが双葉町に関わりがあったり福島の方がいらっしゃったり。
より今回歌うことをやめなくて良かったと心底思いました。
 
私が知らないだけで双葉町に関わる人が自分の近くにいたことに気づけました。

このプロジェクトに携わらせて頂いてたくさんのことに改めて気づけたのですが、特に感じたことは人の縁というものはどんなことにも繋がるし、大きな力になって誰かのためになったりするんだなということです。

人の縁は円になる。という今回タイトルをつけさせて頂きましたが、私は島野さんに声をかけて頂いて今回双葉町のことを知り、私に出来る形で双葉町の再出発、発展を応援させて頂くことができました。
 
そして今回FREEZINEの場を借りて、私も皆さんに双葉町のことを伝えることができました。
 
これも縁があったらこそだと思います。

この縁が、双葉町のことを知ってくださる方や想い出してくださる方、今回の記事でKibitaki Projectに興味を持ってくださり双葉町のために何かやりたいと思ってくださる方、そんな人たちに繋がっていってもっと大きな円になり、双葉町を想ってくださる方が増えてくれることを祈っています。 


今回とっても長いお話になってしまいましたが、お時間を割いて読んでくださった皆さんありがとうございました。

また今回携わらせてくださったKibitaki Projectの皆さんもありがとうございました。

今後も双葉町が素敵な町になっていくことを祈っております!

PROFILE

miNami (ミナミ)

1996年10月13日生まれ
オルタナティブ和太鼓バンド《あみだあくび》のVocal.
バンド活動以外はバンドのライブ撮影のお手伝いなどなど。
たまにデザインのお仕事もお手伝いしている。
2020年からFREEZINEのスタッフとして加入。

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