COLUMN
2019.08.20
COLUMN
2019.08.20
こんにちは、凹(kubo)です。
フリーランスのイラストレーターです。
手探りで書き続けてきたコラムも、気づけば10回の大台にのりました。
これからもマイペースに書かせていただきます。
今回のタイトルは「不自由という自由」。
奇しくも、第10回というキリのいい回に、FREEZINEの名前とリンクするようなテーマとなりました。
(完全に偶然です)
「不自由という自由」。
言葉だけ聞くと、福沢諭吉さんの「自由在不自由中」という言葉が思い浮かぶかもしれません。
これは、その後に続く説明を読むと「自由はワガママとは違う。人の迷惑(妨げ)にならない最低限のことを守ったうえで心のままに生きる事だよ」という意味ですね。
でも、今回私が話す「不自由という自由」は、そういうことではありません。
いや…本質は同じなのでしょうか? このあたりは一朝一夕ではわかりませんね。
例えば、有り余る予算と時間をポンと渡されて、細かな注文は何もされずに、
「何をしてもいいから、たくさんの人の心を動かしてほしい」と言われたら、あなたはなにをするでしょうか。
私は…きっと途方に暮れてなにもできずに何日も過ごしてしまいそうです。
たくさんの時間を無為に消費したあげく、「大勢の有名なアーティストを集めたライブ」や「世界最高峰のマジシャンに依頼して行うショー」と言った、すでに他の誰かがやっているようなことの踏襲をして終わりそうです…。
次に、30cm四方のキャンバスと油絵の具をポンと渡されて、
「天使の絵を描いて欲しい」と言われたら、あなたはなにをするでしょうか。
私なら…まあ、描きますよね。天使を。
その前に、インターネットで天使について調べたり、他の人のいろいろな作品を鑑賞したりして、どうにか「大きな翼を生やし、光輪を頂いた人間」というアプローチから抜け出し、「自分なりの」天使を描くよう努力するでしょう。
ここまで考えて思うのが、「制限があったほうが、むしろ創造の幅は広がるのではないか?」ということです。
制限は、とっかかり。
注文は、ヒント。
不自由は、実は自由の翼が姿を変えたものなのではないでしょうか…?
本当にクリエイティブな人は、むしろ何の制限もないところからの方が、素晴らしいモノを生み出すのかもしれません。
それこそが、ゼロからイチを作る「創造者(クリエイター)」なのかも。
制限がないと飛び回れない私は、しょせんクリエイターもどきなのかも。
でも、いいもん。しょうがない。これが私です。
不自由となかよくよろしくやっていく中で、一生のうちに、少しでもなにか、本当の自由が見つけられたらいいですね。
そんな出会いを夢見て、今日も描きます。
よく描き、たまに書くイラストレーター。
仄暗くて寂しげなタッチの絵が得意ですが、本人はとても能天気です。
絵を描くお仕事があればぜひご連絡ください。
◆Mail
kubo.ekaki★gmail.com(★→@)