COLUMN

2021.05.15

「地獄のセルフレビュー」 by 印藤勢 第1回/『B-side BEST (1999-2009)』

1.「あこがれたそらこどもたちのせんそうごっこ」

大阪のnilescapeと前橋club FLEEZ(現在は高崎に移転)で運命的な出会いを果たし、その後ツアーを共にする際、作られたスプリット。実はマシリトにとっても"全国流通"という経験は初めてだった。そのtrack.①を任されたのであれば、"この曲を聴けばマシリトの指針が伝わる"というモノにしたかった。初心であり、我ながら背筋が伸びる。

2.「hurry hurry」

この曲は、若気の至りというか甘酸っぱい(笑)。eastern youth的なエモを自分なりに描いた。楽曲の折り返し地点でリズムの展開が大きく変わる手法は(今となってはお家芸のようにも感じるが)当時、かなりチャレンジしたような気がする。envyの要素も少しあるかも。ドラム石川は活動再開後、この曲をライブで演りたいと言っている。

3.「オリオンのうた」

先のFLEEZ店長だった澤村さんのアドバイスが効いてる。群馬でのライブを終え、高速道路で帰る最中、助手席から見上げた夜空に大きな星座が見えた。それらのエピソードと、初めて同棲した歳上の彼女との記憶が結びついてる。個人的には、ライブ中最も感傷的になりがちな曲。痛々しい。

4.「青いレモン (SMK ver.)」

新宿の悪友、SIDEKICK9とマシリト、小手の3バンドで"SMK"というイベントを定期開催してた。その会場限定盤という形でリリースしたモノ。1stアルバムに収録されたアコースティック曲をバンドアレンジにしたので、一時期ライブでは頻繁に演奏してた。途中、謎のボンゴ(ジャンベ?)みたいな音が聴こえるが、これは当時のドラム柴田のアイデアで叩いて貰った。ちなみにこの音源、誰も持ってなかったのでesolaマタヒラくんから急遽データで送って貰い、無事アップロード出来た。

5.「NIGHT WALKER」

小手、 Arrastrandoseとの3wayスプリットに収録。春先、眠れなくて深夜徘徊するのは俺の悪い癖だが、そんな時に作った小曲。たった2コーラスでも現在のマシリトに通ずる"コンパクトな目まぐるしさ"を発見した頃。個人的にはGAMMA RAYの影響があるんだけど、昭和歌謡的なムードや世界観がちょっとトゥーマッチな気もするんだが。

6.「マイクロフォン25」

クルーの一員、あんびる嬢が言うにはマシリトのキャリア通して1番好きな曲だとか。確かに他の方からも、ライブでリクエストされることが多い。サビ、という概念が無くて、イントロから勝負メロディを持ってきたこれまでにないパターンを試した。前曲もそうだが、ブラストビートを取り入れた俺なりの青春パンクへのアンチテーゼなのかもしれない(笑)。当時、25歳の記念碑的楽曲。

7.「未経験C」

盟友MUSHAxKUSHA、和歌山のSEGAREとの3wayスプリット収録。会場限定盤で1,000枚売り切ったのは自信がついたなぁ。"人生の転機になった10の音楽"でもお答えした通り、山口百恵の影響が大きい。ちなみに、この音源から4thアルバムまではHiroyuki Kawahara (Studio Certes) 氏に全てレコーディング / ミックスをお願いしてます。

8.「月と森の青年団」

共演してブッ飛ばされたlostageに即、感化されギンギンに歪んだベースをモチーフに作った。活動再開後も何度か演奏させて貰った。個人的には結構リリックが気に入っていて、今歌っても遜色ないと思う。ギターのディレイ(深いエコーのようなモノ)を頻繁に使うようになったのもこの頃かな。

9.「真逆のカレラ」

ハッキリ、明言したことはなかったので良い機会だから言っておくと、当時、苦楽を共にしたMUSHAxKUSHAの姿に感銘を受けて作曲。365日、全国をツアーし続ける彼らを見ていると、ライブ以外、オフステージにも学ぶことが本当に多くて、未だにその恩は返しきれてない。BIGリスペクト。これはさすがにライブで再現不可能か。

10.「優しさを間違えないで」

北海道を2週間、一緒に回ったジェネスからお誘いを受けて収録した。俺たちなりにコダワリというか一応、ルールがあって玉石混交のオムニバスには参加してこなかった(自分と関わりのないバンドが入っている作品を販売したくなかった)が、ほぼ一発録りのデモで良ければ…という偏屈な条件で、ジェネスもよく快諾してくれました(笑)。これと次曲のみgodfulldentorsマコトくんが当時、一之江にあったemTENというライブハウスで録音してくれた。終盤の"つみ~かさね~♪"というコーラスはsofarのしおり嬢がゲスト参加している。

11.「dungeon to danjo」

恐らく、活動休止前最期に作った。楽曲のブッ壊れ具合がまさに当時のカオスを暗喩している。多分、ライブでは1,2回くらいしか演奏したことない。このままアンダーの道を行くのか、それともポピュラーな音楽として活躍したいのか迷った挙句の末路(笑)。音像もさることながら荒削りすぎる歌。自分で聴くことはあまりないが、忘れた頃に再生してみると含み笑いが止まらない思い出。

改めて「B-side BEST (1999-2009)」を振り返ってみて。

仲間との思い出が多いなと感じました。"ツアー戦国時代"なんて言われたりもしたけれど、本当に各地で出会ったバンドとの交流 / 切磋琢磨がなければ今の俺たちは無いし、新宿のバンドとしてのアイデンティティもその渦中で芽生え、育ったから。良い機会を与えて下さったFREEZINEの皆さん、マシリトのリスナーには感謝しかないです。

PROFILE

印藤 勢(インドウ セイ)

音楽家。マシリトの一員。9SARI CAFE & BARで店主らしからぬことをしているとの目撃情報有