COLUMN
2020.07.09
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2020.07.09
はてさて、そんなこんなで先週はひっさびさ!!に滑稽のドアライブで御座いました。
んで野田サリーも活動再開してきます、とりあえず今月は滑稽のドア、野田サリー共にワンマン。
閲覧チケットは両国サンライズにて宜しくお願いしますっと!
、、有難い話。ある意味ね、何でも良い訳じゃ無いし、こうゆう時に呼ばれる事や、やれる体力に感謝だ。
さてっと、えーと先週軽く7歳位まで話したかな。
前回の話はこちらから。
「こんなコラムにだれがした」 by ミケラ 第11回/こんなコラムにだれがしたその11
さて。
僕には縁を切った兄がおりまして、そうですね。今後会う事は母が死んだ時やそれにまつわりやらなきゃならない事をする時期を最後に僕は自分が死ぬまで二度と会わないと決めているし、そう彼にも伝えてるんだけど、その話は後々するとして
その彼が、幼い頃どうであったかとかから書いてみる。
ある時
僕ら兄弟は音の無い部屋で食事をする。TVもついてない部屋でカレーを食べていた。彼は僕と違いわりと幼い頃から泣き虫で良く泣いていた。
何か彼は子供っぽいわがままを言ったんだと思う。
目の前で僕の兄は母から『いいから食べろよ!!』と怒鳴られた後
頭からコップに入っていた水をぶっかけられていた。同時に火が出るように泣いた彼を覚えている。食卓は水浸しだ。ご飯どころじゃ無いけど僕も声を出さないように泣きながら食事をした記憶がある。おっかないんですよ、僕の母はヒステリー持ちなので、一度カッとなると物凄い声で怒鳴る。
絶叫に近い。そうゆう音はあったわ。
ある時は
もう知ってる人も少なくなっただろうけど、そろばんてあってな、僕らの小学生の頃は必須の授業だったのね、多分小学校3とか4年とかで習う訳だけど
彼はそれが苦手だった。
そろばんて駒が付いていてそれを弾いて計算する道具なんだけど
その駒がこう、、バラバラに部屋中に飛び散っていた。『なんで出来ないのよ!』の声と共に。
そうですね。そろばんで彼は頭を思い切りぶん殴られて駒がぶっ壊れて飛んでいったんだね、彼は小学生くらい。バラバラになるそろばん、ギャンギャン泣く彼。DV的な所で考えると、僕より彼の方が多く味わってると思う。母からは。
ま、僕はもうちょい異質なDVを色々味わう訳だけどそれ今日書けるかな、、、。まぁ続けよう。
この頃の話をすると彼女は『酷い事なんてしてなかったわよ、私だって大変だったの。貴方達二人を私はたった一人で育てたの。大した事はしてあげれなかったけど、高校まで貴方達を出す為に必死だった。わかる?どれだけ大変だったか?』とよく言う。
んで、それは確かにそうだったとも思う。
後に聞く話だけど、僕の父はどこだっけか、、あ、法政大学だな。確か、そこの出で、そこそこ悪くない仕事してたそう。なんだけど、起業か、何かしようとして、えっと借金してダメだこりゃって母は父を捨てたそう。
経緯はそんなんだったと思うけど、そこから彼女は経理っぽい事務職から水商売に変わり、子供の為の学校のお金を悪どい事も沢山しながら稼いで『高校だけは。』の想い一つで育てた訳で、その感情に嘘は無いし、実際地獄のような思いもしてきたと思う。少し話変わるけど、昔の水商売てのはグラフがあったんだって、売り上げね。若い頃の彼女はその店のトップになってかなり稼いでいたらしいんだけどそのグラフで彼女の成績も周りがわかるようになる、そうなると、女社会。
靴を捨てられたり隠されたりそうゆう事は良くされてたそう。ヒステリー持ちではあったけど、気の強い彼女はそうゆう圧力には屈しなかったと良く言ってた。確かに気が滅茶苦茶強いので屈するどころかやり合ってたと思う。
そうゆう時期の彼女の張り詰めた気持ちや前回書いたように色んな男とのやりとりとかやり場の無い感情が兄に対する態度に変わっていった所もあるんだろう。
どっちも僕は見てるから双方の気持ちは分かるけど、それでも今俯瞰して見て、この頃の彼はかわいそうだったと思う。
彼も彼で母親を心配させないようにこの頃は生きていた
ある時こんな事があって
当然夜の仕事の子供などは夜中預けられる訳ですよ、夜間保育所かな。まぁ水商売のママ達が子供を預けて働く為にね、僕は記憶薄いけど真夜中にそこから母に迎えに来てもらって家に帰る訳です。
そんな折、彼は母に言ったそうで『弟の面倒は見るから預けないで。火の管理もしっかりするし』と。
彼なりに親に心配をかけないために必死だったんだろう、その頃彼は多分小学生一年になったかどうか位だったから結構凄い子供だったと思う。
そこから半分兄との二人暮らしみたいな感じになった訳ですね(他の人がいた時期もあるけど)勿論夜は母も帰ってくるし朝食などは適当でも作ってくれましたけど。うちの親は料理と子供が嫌いなもんで(我が子以外)飯とかはカップラーメンとか滅茶苦茶多かったな。
○王てカップ麺あるでしょ?
あれ僕は二度と食えない。ちょうど発売された時期に『これ美味しい!』って言ったらそこからずっと○王ばっかだった頃があってあの頃に一生分食べたので、もう食べれない。アレルギーとかは無いけど、そうゆう食事は幾つかある。
ラ○さんごめんね!美味しいですけどね!!
そんな幼い頃は聡明な彼も前回のような事がある中で少しずつ変容していく。
いびつな人の形になっていく。その心理的な変容もまぁわかる。
なんだろうな、、まぁ分かるんですよ僕は。ずっとそうだったかもしんない、未だに。小さい頃からそうだったからたまに人に気味が悪いって顔されるんですけど、会話やしぐさや表情とかで何となくはその人がどうゆう人で今僕にどんな感情でいるかとかちょっとだけわかる。あと空気で。
じゃあ彼がその頃どんな感情だったかを僕なりに書いてみるとね
『守らなければならない奇形児の弟』と『気味が悪い弟』この2つが大きいと思う。それと『おまえばっかり』
だろうね。まぁ産まれが産まれなので気にはされてきたので。
これは多分に愛情や嫉妬もあるから非常に大変で、ある時期から彼が支配的に僕を見るようになってからは、その彼を満足させなければならなくなったし、その感情の出所が分かっているだけに無下には出来ない。恐怖もあるし、2つ上なんだけど、幼い頃の2つ上って力関係で言うと僕なんて無力なんですよ。
まずキレられるでしょ?そんで彼の説教が始まる訳です。『あ、はい。ごめんなさい。』とか言うでしょ?そうすると『なんだおまえそれは。』
こうなります。ここで僕が悪い理由は
『目を見ない、正座をして聞かない』
そうなるとそこから何時間もずっと説教が続きます。正座をし、目を見てずっと謝罪。彼が満足するまでずっと。終わらないから。全然。勿論多少殴られたりなんてのはあったし、怖いし。
時間軸が違うけど、彼の変容の中で象徴的な事があって
昔な、ダイヤルQ2てのがあってな?わかる人おるかなぁ、、、知ってる人は懐かしいと思うだろうけど、まぁ電話なの。色んなダイヤルがありまして、その中にピンク系のね?言わば出会い系みたいなダイヤルがあって、女の子と話したり、エロいダイヤルなどもあんだけど、これにかけると恐ろしい金額の請求が来ます。
要するに高額請求の出会い系のはしりみたいな物なんですけど、彼が中学か高校くらいの頃にそれにハマったんですよ。携帯なんか無いよ?当然。
自宅からかけるわけだけど、そうするとね当然高額請求は母にいくんですよ。
さて、ヒステリー持ちの彼女にこれがバレたらどうなるか?あれですよ、5万くらいの請求がいきなし来るわけだからね。彼の恐怖も想像できますよね。
突然言われる訳です『わりぃアレおまえのせいにして』
『はい?』
訳わからないですけど、どうやら出会い系の電話をしたのは僕と言うことに決まる訳です、容赦なく。嫌だと言っても『いいから謝れよ』ですね、なんかしらのアーティストのダイヤルにかけた事にしろと言われるんです。そんな訳ねぇだろですけどね。出会い系とかピンク系以外の何物でも無いのに。
なんで翌日カンカンに怒った母に僕は土下座をして謝りました。アレは泣いたな。土下座しろってんだもん。何もしてないのにある日突然土下座だもんな。
こんな理不尽は当たり前ですけど1つや2つじゃ無いんですよ。
そうゆう彼の道具みたいになっていったんですね。僕は。
こうやって彼も変容していった。