COLUMN
2020.07.16
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2020.07.16
さてっと!兎にも角にも宣伝ったら宣伝。
来週やっとこ野田サリーライブやります、配信と閲覧は限定30名
7/25(土)両国サンライズ
【野田サリー】配信&限定入場30名ワンマンライブ
OPEN20:00/START20:30
入場¥2000+1d(¥600)/生配信¥1000
リスクのある時期ですし、熱測ったりも有りますので具合の悪い方は配信ならば無限に見れるので是非とも!大丈夫な方は僕と呑みましょ♪
さてと。
んーと、、前回どこまでだったかな
前々回
前回
ここ暫く個人ブログやったり宣伝映像作ったりと色んなことやってたから遥か昔に書いた感じがしますね、フライヤーやったりTwitterランドとFacebookランド行き来して宣伝したりしながらスタジオの予定、予約、ベース練習、歌詞まとめたり。
こう書いているとフロントマンてずっと働いてる様なモンなんですけど、個人的にそうゆうものだと思ってる。この時期は2時間3時間くらいしか寝れないのは仕方ない。仕事もしてるしな。
っと!そんな訳で一旦色々まとめかけたので、コラムを書き始めてますけど、木曜昼公開なのに水曜深夜の4時の今から書き始めてます。途中落ちたらごめんよ。
前は兄の変容についてでしたっけね、僕がやっとこ小学生に上がった頃から書いてみよう。
ある時
小学生に上がって少しして我が家にも遂にコンピューターゲームがやってくる。
そう、皆んな若い人は信じられないかも知れないが僕はファミコンの初期を触れた貴重な生き残りだ。なんせファミコンて皆んな丸いボタンだとか思ってるだろうけど、あのボタン最初は四角なんだぜ、知ってる?ゴム製のね。
この生い立ちコラムの中で貧乏、貧乏言ってる家庭でそんな当時高価な物を持ってんのかよと思われるかも知れないが
なんの事は無い、水商売の母親がお客さんから貰ってきたからなだけだ。当時の四角ボタンはな、ゴム製だからずっと押してると陥没して戻ってこないんだよ、知らないだろう?ちょっとだけ自慢だ。
ずーっとやってた記憶があるな、兄と二人で夜中まで部屋で過ごしてた頃はよく深夜に1人で遊んでたな。
麻雀を。
うん、麻雀です、麻雀。どっかの知らないおっさんのお下がりだからね、ルールも意味も全く完璧に知りません、小学2年生くらいだもの、知る筈がない。
でもずっとやってたな、それとゴルフ。まさにおっさんの趣味ですね。暫くしてビリーヤードとか増えていったんかな確か。この辺りのゲームの話は案外色々あんだけど、ちょっと生い立ちからはそれるから置いといて。
ある時、僕は小学生になり、当然のように学校へ行く。色んな授業があったけど、美術、工作、国語辺りは楽しかった、音楽は合唱とかはまぁ良いんだけどね、縦笛なんですね問題は。
まぁ遡ってなんで問題かは過去の生い立ち見てもらうとして僕は指が欠落してるもんで縦笛の穴を押さえらんないんです。
小学校3年くらいの頃の担任の先生は結構よい人で土屋先生っていったかな、何とか他の生徒と違いが無いように色々考えて下さってね。色々な縦笛を探してくれたんだね。
具体的にはピッコロの縦笛ってのかな、小さい奴があんのよね、そうゆうの探して色々試してくれて、僕の場合ぱっと見誰も分からないもんでそんな奴が皆んなが縦笛吹いてる中で鍵盤ハーモニカ吹いてたらおかしい訳ですよね、子供的に。だから色々試行錯誤してくれたんじゃないかな。
まぁ駄目だったんですけどね。
欠落しながら変形してるもんでどうにもなら無かったんですね、今僕の左手の小指は微妙に曲がる関節が1つあんですけど、これ後年に折って間接みたいになったのを更にギター引き倒して少し曲がるようにカスタマイズした特別仕様で、当時は間接が無かったから音が出ないんだこれがな。後に右手の小指の神経切って使えなくなるんだから世の中上手く出来てるもんだ、逆の意味で。
そんな訳で最終的に1人鍵盤ハーモニカの謎の奴でした。周りはよく分かんなかっただろうと思う。例えが良いのか悪いのか分かりませんけど、片腕が無いとか片足が無いとかって見た目で分かるから好奇の目で最初は見られると思うんですけど、そのうち周りが慣れるんですよね。
その中にも差別があったり、上手く馴染めたり様々な方がいると思うけど、僕の場合、何とも分からん見た目だし、クセとして僕は左手はズボンのポケットに入れる物で、これはどうなんだろう、いつの間にかそんなクセがついてたのであんまし自覚無いんだけど、正直あの頃の見られ方は苦手でしたね。まぁ、今もあっけどな。
なんでそんな物が持てないんだとか、力弱くね?みたいのは良くそんな感じで有りましてね。まぁしゃあ無いかと、『すんませんね、、、』って感じで後々仕事とかも色々工夫した。出来ないと言う目で見られた上で更にこの手を見られるとそれはそれはそれはそれはそれはそれはそれは可哀想な目で見られるので、基本的に仕事はさっさとかなり出来る様にしとかないといけないので、とっとと覚えて工夫しまくって偉そうな顔する様に未だにしてます。
だから今は相当偉そうです。
さて、そんなこんなでその頃の家庭環境ですけど、男の人が居る時も有りましたが基本的に子供2人で夜中まで過ごす訳です、この頃とか小学校前くらいの時にはなかなか綺麗な想い出もあるんですけど、ただでさえ長いコラムになってるので(これはコラムなんだろうか、、、)いずれ個人ブログにでも書くとして、子供2人の部屋ですよ、ある意味無法地帯でね、良く分からないままに近所の年上の子供にそそのかされて母親の財布からお札良く持っていって渡してたりそこには中学生くらいの年下にだけ威張る様なガキんちょがいたりで
その時は多分夕方くらい
母は同伴の為(水商売で良くある奴ですググって下さい)居ない。
結構ガラの悪いそのガキには兄共々良く呼ばれた、何してたか覚えてないけど、何となく遊んでたのかな、、結構暴力っぽい奴で、兄は恐れてたと思う。僕はあんまし自覚が無かった。
彼が我が家に入れろって時があった。多分兄は断ったが、鳴らされる呼び鈴、ついうっかり開ける兄。多分薄く開こうとしたドアをこじ開けてその彼は入ってきた。
兄も小学生の頃だ、奴は中学生くらいだった筈。力の差は歴然でこじ開けてきた奴がまず兄の頭を思い切りはたいて次の瞬間
ガラスの扉の収納に思い切り兄の頭を掴んで打ち付ける。割れるガラス、泣く兄弟。何か言って立ち去る奴。
これ今ふっと思い出したけど、現実だったんだろうか、、、あったんだよなぁこれ。怖かったからなぁ。吹き飛んでたもんな兄。
ただの恐怖。
親が居ない部屋だからどうにもなんないんだよね、子供2人で。まだまだ馬鹿だもんガキの頃なんて。
冷めたオカズを温めてよく食べてたな。1人で食べる事も良くあった
団欒はたまにあった
だけど基本的には高校出るまで1人。それぞれ勝手に食べて薄暗い部屋で
寂しいとか無かったけど
虚しいのだ
味なんて有りもしない
だから今年は本当に忘れられないのだ
幼い頃、音のない部屋を和ますのはTVで
僕を良く笑わしてくれてた
そんな僕を救ってくれたのは
ドリフターズだったから。