FEATURE
2022.02.22
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2022.02.22
もしもその音楽と出会っていなければ、いまの自分はない。人は誰しもが、そんな人生の転機となった音楽を持っているもの。そこでこのコンテンツでは、各界のFREEZINEたちに、自分史上において転機となった10の音楽を選んでもらい、当時のエピソードと共に紹介していただきます。選ばれた音の並びから、人となりが見えてくる。
父が音楽好きでして、当時のレコードコレクションを受け継いだんですが、その中身はジャズとビートルズを中心に、ピンクフロイドとか外道とか、なんかよくわかんないファンクバンドとか、昭和の看板職人にしてはずいぶん尖りつつ王道も抑えたセレクションだなぁ、と。
そんな父は自分のレコードコレクションに閉じ籠ることなく近代のロックも聞いており、ボウイは小学生当時の私に父から教えられた初めてのロックでした。個人的趣味で言うなら煌めきのあるメロディとギラギラ感が絶妙にまじりあった「モラル」「インスタントラブ」の初期2作が至高ですが、父から渡されたバトンということで「サイコパス」を挙げました。
最初に父に伝えた感想は「ノリがいいね」という感想だったことを覚えています。150分テープ3本にボウイの全アルバムをぶち込んで、ずっと聞いていました。ボウイの曲はイントロだけで全部曲名を言えると思います。
前述の父が「すごいバンドがいる」とかなんとかで半裸の男が壁にしばりつけられ弄られてるキモイジャケットのCDを買ってきました。
炸裂する激烈ドラム!今までに聞いたことのない、ヨシキだけが作れる最高のメロディ!ジャーマンメタルを知らない小学生にとってはとてつもない衝撃でした。ただ、この「ジェラシー」というアルバムはヒデ作「ミスキャスト」「ラブレプリカ」、タイジ作「デスパレートエンジェル」「ボイスレススクリーミング」があってこその完成度でした。ヨシキの初期衝動と使い尽くされてないメロディの発見だけではない、メンバーのエゴとクリエイティビティがピークに達したときに作成された、究極の一品です。
ビジュアルショック、刺激的なビート、キャッチーなメロディというビジュアル系の構成要素は私の基本的なルーツです。
中学生~高校生の私は深夜ラジオユーザでした。よく考えるとこれも父がオールナイトニッポンとコサキンを聞いていたことの影響ですね。
夜のひそかな楽しみとしての深夜ラジオ。そんな中突如の異物として現れた「電気グルーヴのオールナイトニッポン」。ニヒリズムとシュールさ、刺激だけを純粋に求める内容にサブカルチャーのサの字も知らない私は衝撃を受けました。私にとって電気グルーヴは「面白い人たち」というカテゴリとして現れましたが、「UFO」を図書館で借りて「BBE」のラップを全部覚えて、「KARATEKA」を買って友達に聞かせて、とするうちにエレクトリックミュージックを受け入れる土壌は出来ていたんだと思います。
電気グルーヴがテクノとレイブ、セカンドサマーオブラブに大きく影響を受け、レコード会社の反発を押し切ってリリースした、半分がインストのこのアルバム。「新幹線」を初めて聞いたときに、今までに味わったことのない興奮が体から突き上げてきたことを覚えています。
電気グルーヴによって開拓された私のテクノ道はそのまま続きます。
電気グルーヴのオールナイトニッポンでは「今週のおすすめ」のようなコーナーで毎週一曲おすすめのテクノを流していました。AMの荒い電波とラジオのしょぼいスピーカーで曲の良さが伝わるかというと難しいところですが、その中でも圧倒的な衝撃をもって深夜に届けられたのがハードフロアの曲でした。
打ち込みのリズム「ドッチードッチードッチードッチー」と、アナログシンセサイザーの「ビヨビヨビヨビヨ~ビー~ビヨ~ビビビビー」だけを組み合わせて人を興奮させる力を持つ。10曲ずっとそれ。
それでも、それを聞き続けられる力があった。池袋のWAVEに初めて行って、勇気を出してテクノコーナーに踏み込み、あの黄色いジャケットを抱えて帰りました、CDプレイヤーの上にのせて、「ドッチードッチー」の後に「ビヨビヨビヨ~」が鳴り出し、一瞬のブレイクの後にあふれ出すアシッドの渦・・・・!隣の部屋にお母さんがいたので、たまらず「このCDめっちゃいい、買って正解だった!」と伝えて怪訝な顔をされました。
テクノ道からもう一枚選ぶときにデトロイトテクノの「コズミックソウル(V.A)」と迷いましたが、生活に深く根差す音楽ということでこちらを選びました。
電気グルーヴ、ハードフロアとダンス寄りのテクノ道を歩んできた私は、「テクノボン」という石野卓球と野田努が作ったディスクガイドを買いました。「テクノボン」はテクノルーツ対談のようなものが多く、当時の私にとっては「クラウトロックとかしらねーよ」みたいな感じでした。
それでも当時のムーブメントはきちんと紹介されていたので、その中でも手に入れやすかったエイフェックスツインを中心に、B12とかブラッグドッグとかを買うことができました。
エイフェックスツインは「アンビエントワークス」を買って愛聴してましたが、「セカンドアルバムが出た、とんでもないアルバムだ」という話で、手に入れたこのアルバム。
全編ミニマルなアンビエントテクノで、ずっと単調なシンセ音がループされているだけの2枚組という・・・・。ブライアンイーノもジョンケージも知らない私にとっては最初「まじでわけわかんねーな」でしたが、アンビエント沼にはまるのは早かったです。
いつの間にか寝る前に毎日聞いていました。リチャードDジェイムスが選ぶ音色とその配置が、人間の本能的な何かを呼び起こす魔術を持っているということを、このアルバムを聞くたび強く感じます。
オルタナティブ/パンク的なものが本格的に自らの精神に入り込んできたのはブッチャーズの「kokorono」でした。ですが、インターネット黎明期でまだまだ現場以外に情報が落ちていない時代、私はそこで止まっていました。
大学に入り、バンドサークルに加入し、情報の坩堝に突入した私は様々な音楽に出会います。しかしブッチャーズを好きな人はいませんでした。ルナシーが好きな同輩か、ベルベットアンダーグラウンドとジミヘンがすきな先輩しかおらず、当時の私は「ルナシー最高!」だったので、先輩のことが嫌いでした。そういう環境で私はダムダム団を結成するのですが、別の音楽サークルにいた高橋君(初代ダムダム団ボーカル)からイースタンユースを教えられます。高橋君がベースで参加していた「月影」かっこよかった・・・・・
ということで、高橋君と私は一緒にナンバーガールとブッチャーズのライブにいったりする仲になりました。「孤立無援の花」は私が初めて歌の歌詞をしみじみと噛みしめながら音楽と向かい合ったアルバムかもしれません。クリスマスイブ、高橋君と2人きり、バンドサークルの部室でイースタンユースを爆音で流しながら、部室の天井を破壊しまくったことはいい思い出です。
フリクションはテクノ道の流れで知りました、「ゾーントリッパー」がリリースされ、そのリミックスアルバムに田中フミヤが参加していた流れか何かで、テクノ人の誰かが「フリクションかっこいい」といったような・・・記憶が曖昧ですが。
「ゾーントリッパー」のオリジナリティ、本質的な重さは、アンダーグラウンドの凄みを私に存分に伝えてくれました。わけがかわからないけどわかりやすい。それを最高に研ぎ澄ませたのがこのライブアルバムだと思います。これほどまでに一切の共感を否定しながら、その渦に人を巻き込む力がある音楽があるのか。
「ダムナムCD」というタイトルから、私は当時組もうとしていたバンドに「ダムナム」という名前を付けようとしていました。しかし、同時に高橋君がINUの「ダムダム弾」という曲からとって「ダムダム団」というバンド名を持ってきました。発音だけで言えばほぼ同じ。なんたるシンクロニシティ。
というわけでダムダム団が結成されるわけですが、結成当初は「フリクションぽい」とか言われてましたね。
大学時代にツェッペリンは聞いていましたが、特に何も思いませんでした。
移民の歌とかはかっこいいと思いましたが、おっさんがチャカチャカやってるだけのジャムっぽい部分とかは「ルナシーのほうがカッコいいな。ビリーブとかウィッシュのほうがいいし」と切り捨てていました。
ですが、いつのころからか「幻惑されて」の真ん中のパートから最後のリフになだれ込むところとか「あれ?ひょっとしたらこれカッコいい?」と気づくようになり、いつの間にか「レッドツェペリンは神」と言うようになっていました。
そのあとは普通にジミヘンとか聞くようになり、大学時代に嫌いだった先輩たちの趣味も理解できるようになりました。
バンドマジックはそう簡単に起きない。「人間はひとりで生きて一人で死ぬもの」という孤独感に裏打ちされたそれでもなお他人を求め続けるちからによって、お互いに手を伸ばし、形のないゴールを目指しながら、その途中にある奇跡のような時間にしか生まれない。楽曲そのものではなく、演奏の裏に透けて見える「絆」のようなものを感じて感動したのはこのアルバムが初めてでした。
20代~30代はダムダム団としてライブハウスに出入りしていましたが、「最も素晴らしいのは自分の作った音楽である」という信念のもと、新しい音楽を聴いて消化しながらも、それを「好き」とはっきり言えないような時期だったと感じています。
すべての対バンはライバルであり、勝つべき対象だった・・・・。音楽を楽しむ、というよりは音楽に苦しんでいたような気がします。ダムダム団は私が30代を過ぎたところで停止し、分裂や再始動を繰り返しながらギリギリのところで生き長らえてきました。
それでも音楽はあさるように聞いていましたが。ある日なんとなくテレビ埼玉のMVをみていたところ、心にすっと入ってくる音楽がありました。フォークソングみたいなノスタルジックな歌と、巨大なダンスフロアで鳴り響くシンセリフが交互に繰り返される今までにない構造の曲。後の「EDM」と称される音楽の始まりともいえる、アビーチーの「ウェイクミーアップ」でした。
パーツだけでみると特に新しいものがあるわけではないのに、それを組み合わせることによってとてつもなくいろいろな場所や心にリーチする音楽になった。あらゆる音楽をライバルとして、取り込むべき研究の対象としてとらえていた私を開放してくれたのはこの曲だったような気がします。
EDM自体はテンプレ化が強すぎて心から好きとは言えないですが、アビーチーだけは違う。めったに買わないライブチケットも買いましたが、残念ながらその時は来日中止になり、そのまま会えることなく彼は若くして逝去しました。会いたかったな。
もともとデビュー曲の「星が瞬く夜に」は目にしていましたが、高速ディスコビートも素人みたいな歌も気に入らず、そのまま記憶のかなたに去ってしまいました。そもそもアイドルとか興味なかったし。
時が2年くらい経ったころ、なんとなくyoutubeを見ていると、「オーケストラ」が流れ出しました。スマパンの「トゥナイトトゥナイト」にそっくりなイントロの後に妙にいい歌。注目してみると「なんか歌のうまいビリケンにそっくりな女がいるな」となり、気づいたら10回くらい連続で再生していました。そのまま日比谷野音のライブ動画をみて「このビリケン踊りまで異常に上手いな・・・」となりました。アイナジエンドのことですね。
この時点ではまだ自分がアイドルにはまったということを信じたくなかったのですが、そのままyoutubeでBiSHの過去曲を全部あさり、限定版の写真集付きブルーレイを買い、高速ディスコビートも「これはこれでアリ」となり、レコ発イベントでハシヤスメとチェキを取り、WACKの動向を常に気にし、地下アイドルまとめブログを読むようになるのにそれほど時間はかかりませんでした。
アルバムとしてはそれより前の「フェイクメタルジャケット」の方が捨て曲はないですし、さすがに「オーケストラ」は聞きすぎて飽きています。ですが、BiSHひいてはWACKのアイドル群の存在は「歌い手によって楽曲はクソ化する場合もあるし神化する場合もある」ということを強く気づかされたきっかけであり、「アイドル」という、「作者と演者の分化によるバンドとは違うケミストリーの場」を知るきっかけとなりました。それは「オーケストラ」なくしてありえなかったので、「オーケストラ」が収録されているこのアルバムを選びました。
当時友人に「BiSHていうアイドルが~」という話をすると、「仕事が忙しすぎておかしくなったんだね」と言われていましたが、BiSHはすっかりメジャーになりました。彼女たちは地下アイドルで収まる器じゃなかったし、鈴木もおかしくなったわけじゃなかった、ということです。
小学生から記憶を掘り起こしながら順番に選んでいきましたが、ツェペリンからアビーチーまで10年以上間が空いていることと、その10年強、自分がどういう心持ちで音楽を聴いていたのか初めて認識しました。
好きなものは好きといえる気持ち、抱きしめてたいですね。
選んだ10枚は全部王道で、ひねくれ感がないものだと思います。わかりやすく人に届くものが好きで、自分でもそういう音楽を、とダムダム団をやっているので、それを証明できた10枚になりました。ありがとうございました。
ダムダム団のドラムであり最後のオリジナルメンバー。
【ダムダム団の歴史】
・1999 東京で結成。高橋、千葉、鈴木の3人で結成。(もう一人いたがすぐやめた。)
・2005 千葉がお菓子の国へ旅立つ。古根加入。
・2009 悪伊直弼 加入。4人編成になる。
・2009 高橋がお菓子の国へ旅立つ。
・2010 悪井がお菓子の国へ旅立つ。
・2011 古根がお菓子の国へ旅立つ。鈴木だけになる。
・2012 元々お菓子の国の住人だった下深迫仁と古根が意気投合して現実世界に帰還。
・2013 下深迫仁と古根が鈴木に合流。ベースボーカルのスリーピース編成となる。
・2016 古根がお菓子の国へ旅立つ。ギターとドラムだけになる。
・2017 大山淳が加入。女性ボーカルベースレス編成となる。
・2019 山田史奈サポートが低音ギターで加入。ツインギターベースレス編成となる。
・2019 山田史奈サポートがサポート終了、山田メンバーとなる。
・2022 元気に活動中。