COLUMN
2020.07.02
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2020.07.02
さて、そんなこんなで先日はこのフリージンでもお世話になっている、Ape君と呑みに行きました。
まぁまぁ酔っ払ったんですが、そんな中『生い立ちの話が読みたい』と言う、リクエストが有りまして、凡百あるような人生なんだけども。ちょっと書いてみようかなぁと、まぁあんまし語るつもりも無い話なんですけど、歳を取るとね、色々ボヤッと記憶がしていってしまうのでそれも勿体ないし、楽しんでくれたら良いから。そこそこ覚えてる間に記述しておくのも良いかなと。
んで、僕が生い立ちについて書くにあたって幾つか先に申し上げておかなきゃいけない所があって
●このような人生はこの世に幾らでもある事
●その渦中にいる人が沢山いる事
●それが凄い事でもなんでも無いって事。当たり前です
この3点は先に記載しときますね。そーゆーつもりじゃ無いとだけ。
あとちょっと捕まっちゃう人が出そうな所と、あんまし言えない所は省きますね僕だけの問題じゃなくなっちゃうので。
さて、その前提の上で
僕は四指欠損しててな、左の握力は9です。ついでに言うと右手も小指は弦を引きちぎった時に神経引きちぎったので今は両手合わせて6本の指で演奏してるんだな。僕がグラスを持つ時に小指が立ってるのはオネェ的な感じでは無いからゆるしてくれ、単純に曲げづらいの。
そもそも僕は右利きですが、指が使えないモンでレフティなんですね。
ままま、その辺りの話はまた後に出てくるかなぁ、、出てこないかなぁ、、んじゃ話すか。
その時
僕は兄のいる階段の1番上を目指してやっとたどり着いた瞬間に突き飛ばされて結構な階段から落ちていった。目の前に階段の1番下の石段が迫ってきて暗点する。
多分それがこの世で1番初めに記憶している風景です。
その時に肩を外して泣いていた自分を外側から眺めてた様な気がする。上手い事当時の何軒目かのお医者さんが気合いで肩を戻してくれたんだったな、力技だな、医者よ。
僕はそもそも父親の顔を知らない。名前も知らなかった。多分2歳くらいの頃に離婚したのかな、その後も母と父が一緒の写真は父親側が切り取ってあって随分後年まで写真すら見た事が無かったんだね。だから当然会った事も無い。(後年に一度だけ写真を見る事になるんだけど)
我が家は母子家庭のイメージを更に悪くしてそこからお金と笑顔と喜びを無くしたら丁度想像出来るような家庭でね、なんにも無かった。んー、、、、、、本当に何も無かった。
ある時
僕は泣いていた。よく分からない恐怖に晒されて。
当時二階のあるマンションに住んでいたんだけど、一階の部分で兄は立ちすくんでいて、僕はただ泣いていた。
母はどうやらガスを吸い込んで死ぬと言う。それを電話で相手に伝えろと怒号と共に兄は言われてたんだかなんだか、小さい頃だから記憶が薄いんだけどね。
例に漏れず母子家庭の母の職業はホステスで、良くある話で、男に捨てられそうだったんだろう。
『今からガスを吸って自殺するから早めに救急車を呼べ。』そう兄は言われてたと思う。兄は泣き叫び、僕はただ泣いた。死なないでって何回も何回も兄弟で言った。
死ぬ気は無かったんだろう、ただ電話越しにいる相手にその惨状を聞かせたかったんだと思う、僕ら兄弟の泣き声は役に立っただろうな、狂ったように泣いてたからな。
そのまま電話越しで言い争いが始まり、暫くしてガス吸って、兄が電話して救急車が来て。、、、じゃ無かったかな、、似たような事がちょいちょいあるのでこの事件か定かでは無いけど、ガス自殺未遂の時の背景はこんな感じ。この辺りから生まれてからの記憶が割とある。
僕は人の生や死を意識する年頃より、ずっと小さい頃に単純に、死だけをずっと突きつけられてきた。叫び声、怒号、混乱、暴力(僕自身はそんなに暴力は受けてないかな)。そうゆう事柄ばかりが、日に日に起きて、連れて行ってくれた市民プールや、運動会の記憶を上塗りしていった。
きっと楽しい事は沢山あったんだと思う。覚えてる事で綺麗な記憶も断片的にある。ただ綺麗な色を塗りつぶす様に黒っぽいカラーで日常の1日1日が塗りつぶされると一体どこの記憶だったのか、思い出せなくなるだけでね。
ある時
僕は目が覚めて、二階から一階に降りて行った。そこには見慣れない男の人がタバコを吸っていた。
どうやらSEXした後だったようで、そこそこ気持ちが悪かった記憶がある、母親が知らない人にヤられてるのは多分誰でも気持ち悪いんじゃないかな。情事についてもSEXについても知らないのは6歳くらいじゃ当たり前なんだけど、情事の匂いみたいなモンはハッキリ分かっていた。
母は確かこう言ったと思う。
あの人が新しいお父さんよ
あ、はい。って感じで。そもそも父親の概念が無かったから新しいも古いも分かんないんだよね、幼稚園児位だし。
ある時は
知らない男が刃物を持って入ってきた。叫び散らかしてなんか大変だったはず、、、んーと男同士で争ってたのか、、ホステスだったから体よく騙された男の人だったのか定かでは無い、きっとここも色々あったと思うけど、刃物男くらいしか記憶が無い。
ヒステリー持ちの母親の怒号と泣き声が割とBGMだったから僕はそんなに泣かない子供だったそう。
あんまし、感覚が無いんだよね、喜怒哀楽の場所が無いから息を潜めて暮らすだけで、母に『あなたは本当にこれ欲しいとか泣いたり言わなかった』とか言われるんだけど、多分我が家にお金が無い事を育ちとして知っていたからなだけなんじゃ無いかな。とっても利発な子供ですね。もちろん子供らしく笑ったりもしてたよ。普段は。
、、、そんな事もあってか『お金なんて』って言う人が割と僕は嫌いなんです。お金はツールでしか無いのは理解してますが、無ければこうなるから。こうなるんですよ、貧乏ってすべからく人の生きる気力やキッカケや余裕を削いでいくんです。
本当だよ。
希望も夢もなんにも無くなるのを知っているので、特に小さな頃は何も選べなかった、僕はね。だからお金が得られる人達はそのお金は大事にして下さいね。僕もチケットを買ってくれる人達にいつも滅茶苦茶感謝してます。本当に。(けれどお酒を呑みます有り難く。えぇさめざめと。)
、、っと、話しが逸れたね。
その時
多分3か4人目の父親の時。
マンションの屋上でなんだったか、、柔道なのかな、、なにかその時の父親に教えて貰ってた感じなんだけど、母は居なくて。僕はそもそも『この人がお父さんよ』には慣れていたし、今回のお父さんはどうやらそこそこ家に居てくれると思ってまぁ『あなたのお父さんだからね』と母に言われてたのもあってちょっと抱きつきに行ったんだよね、なんか甘えようとしてた、えへへーって感じだったと思う、そこそこ長く居てくれたから(1年くらいかな、、)嬉しくてね、やっと甘えられるんだと思って。
その瞬間左頬に鋭い痛みが走り。
それが引っ叩かれた事を理解するのにちょっと時間がかかった。おかしいなぁ、、、父親って言うのはこう、、、甘えさせてくれるものなんじゃ無いかな、、とか思ってたからその時は泣いたな。流石に。怖かったし、でも理解はした。
僕は彼の子供では無くて自分の惚れてる女とヤって産まれた知らない他人の子供なんだって事で。
、、、まぁ理解するしか無いんですよ。それ以外に選択肢は無いの。選択肢なんてね、、、ある訳ないの6歳児くらいには。だから泣きながらしっかり覚えておいた。
父親は僕には居ないんだなと。これを理解しないと痛い目に合う。
仕方無い事でね、今はもうそうゆう自身に起こる変な理不尽さの正体は何となく分かっているし、その頃のその人を恨む事は一切無い。
、、、辛かったんだろうなぁとは思う。僕や兄がもしあの頃居なければ、あの人はもうちょい風通し良く生きれて、子供を殴る必要も無く、そんな罪悪感に悩む事も無くて、うまくいけば、本当の自分の子供を大事に出来たのかなと思っている。
人ってそんなに正しく無いんですよ、分かっていたって上手く振る舞えない人も居るんですよ。僕だってそう。誰だって上手く振る舞いたいんだろう。出来れば誰にも嫌われたく無いし、人の嫌がる事なんてしたく無いんだよ。
でも出来ないんだよね、その人を取り巻く経済的環境や、育ち、嫉妬や見栄や矛盾が人を狂わせる。だけど彼はその後犯罪した訳でも無いし、そんな知らせも無いから、大変だったねと今は思ってる。まぁ殴られたのもそれだけだったし、彼からは。確か。
きっと上手く振る舞いたかったんだと思う。
ある時
その人は出て行った。
確かこの辺りまでで僕が7歳くらいの頃。
今回はここまでかな。記憶薄いなぁ、、、。
あぁ、、、花火は見たと思う。ちょっと綺麗な方の記憶としては。そうなると石段より前の記憶だけど、これは記憶って言うよりも、、、映像かな。
ぼんやり窓枠の外に花火があってね、旅行に行ったんだろうね。家では無かった。
んできっとその時いた人は実の父だったかな。
花火以外の映像は一つも無いけど、父親だったんだろう。
そんな感覚があったりなかったり。
さて。今週土曜日両国サンライズにて滑稽のドア、お客さんも入れる配信ライブをやります。
良かったら僕と乾杯だね。宜しく。(キチンと儲ける為に宣伝を差し挟むストロングスタイル)
OPEN20:00 / START20:30
●入場TICKET ¥2000+1d(¥600)※30名限定
TICKET販売ページ
●生配信TICKET ¥1000
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